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#ミュージカル刀剣乱舞 #陸奥一蓮 初日見逃し配信の感想と考察 加州と蜂須賀の役割はなんだったのか

目次

見逃しが見られる内に、今一度まとめておこうと何回も見直してました。
長いけど今回は目次つけているので。主意は目次だけでも大体おわかりいただけるはず。

初日リアタイ書きなぐり感想はこちら

本投稿には本編のネタバレ、その他パンフレットやこれまでの諸々の言及も含みます。

DMM TV ミュージカル『刀剣乱舞』 ~陸奥一蓮~

ミュージカル『刀剣乱舞』 ~陸奥一蓮~パンフレット【電子版】

 

順を追っての感想

本丸の桜の話をする加州

庭の奥まった場所にあってここにあることを知らない男士もいる
人見知りっぽい桜。
加州「刀剣男士が顕現する度に桜を一本ずつ主が植えてるって噂を聞いたことがあるんだけど」
水心子「いや、そうすると本数が合わない」
加州「ふーん、じゃあただの噂か。ざーんねん」
水心子「桜の方が一本多いようだ」
加州「……へぇー」←これ
この絶妙な間と表情、そしてなんでもなさそうな振りを装っての一言。上手過ぎる…。

この後の歌で
教えてよ知ってること全部
微笑みでごまかさないで そろそろ待つの限界なんだけど
の詞は誰に向けてのものなのだろう。
最後まで見てから見直すと、鶴丸かなって感じだが。

蜂須賀も桜が多いことを気にしてはいるが、誰の木なのか知っている感じではないように思った。
ただ花暦で蜂須賀が「風流」と言っていたというのは確かに引っかかりはするんだよなぁ…。 

 

平安時代初期への出陣演出が恰好良い

「勉強熱心なやつだ。そういうところは似てるんだろうな」
と鶴丸が言っていたけれど、誰にだろう?
主とまんばちゃんが? 大包平?? 歌仙???

山姥切「正規の出陣先ではない。なにが起こるか予測がたたない」
加州「だからこの顔ぶれってわけね」
蜂須賀「なるほど頼もしいな」
と出陣直前の会話があったけれど。
確かにメタで言えば、トライアルで全員初めて、からの
何振か残って新刃を加えての編成で出陣を繰り返してきた刀ミュの
これが初の全振既出刀剣男士。
しかも、全振が隊長経験者。
それは確かに頼もしい、けれど、実際この本丸で何年時間が経っている設定なのかわからないものの
取り敢えず公演で把握できる以外にも出陣はしている訳で
そうしたら隊長経験者ってそんなに珍しくないと思うんだよな。
自分の本丸はそう。してないひと探す方が大変かも。
メタ除いてこの物語の中で必然性があって頼もしい顔ぶれだと、
自分はいまいち思えなかった。

この後の状況を説明するシーン、男士たちが狂言回しのように
説明を挟みつつ戦いが進んでいく演出が好きだった。

蝦夷の勝利のところで一緒に左手を振り上げる加州がすごく無邪気。

聞き取り自信ないけど歌詞で
“刀折れる事実 明かされる真実
旭日の狭間で残された史実”
って言っていたように思ったのだけど。
パンフレットで茅野さんが
『今、史実とされているものは争いに勝った強者が書き残したものですが、
今作は特に、「史実」「事実」「真実」をきちんとわけて考えたい』
と仰っていたんですよね。
これちょっと気になっていて。
見終えた時にわけて書かれた本だったなーって感想に自分はあんまりならなかったかな…。
坂上田村麻呂のキャラ設定とかそこらへんはちょっとそうかな。
あんまりこの辺りの歴史詳しくないからわからないのかもしれません。

坂上田村麻呂へのイメージ、自分も清光と一緒でした。
面白いと思ったけど意外なキャラだった。

  

阿弖流為と母禮の稽古シーン演出も良い

流石にこの2人の殺陣は刀が重くて素晴らしいなと。
そしてまんばちゃんが歌いだし、阿弖流為たちの殺陣と重ねて
三日月と鶴丸になるのが好きな演出だった。

それにしても鶴丸の「約束ってのはいつから呪いになるんだろうな」
は死角から刺さってくる感じで痛かった。

 

やひことのシーンの三日月の表情

やひこちゃんはモデルはいるんでしょうかね。
千里眼がある感じだったのかな。
「たくさん聞いてきたんでしょ、だからやひこのはいい」
はずるいよなぁ。それだけで泣きそうになったし、
そう言って耳を塞がれた時の三日月の虚を突かれた表情が溜まらない。

三日月の方では阿弖流為に何度も会いに来たということは
やひことももう何度か会ったことがあるんだろう。
話を聞いてくれなくていいと言われたのは初めてだったのだろうか。

 

地方勢力は結局本気を出した朝廷には敵わない

この話をしている時、最初の方カメラで抜かれていないけれど
ちょっと辛そうに見える加州。
「地方勢力は結局本気を出した朝廷には敵わないってことだよね」
「見方を変えれば一地方勢力が朝廷に本気を出させたとも言える」
「うん。そうだね」
大包平がどこまで承知の上で言っていたかはわからないけど
この地方勢力の話ね。
自分が目にした範囲では『新選組』って言ってる方多かったんだけど、
自分は会津かなって思ってました。もしくは奥羽列藩同盟。
新選組はいろんな地方からの寄せ集めで地方勢力じゃ無いだろうし、
池田屋で折れた加州がまるで甲陽鎮撫隊以降の土方さんみたいな
洋装をしているからには、江戸に戻ってきた以降のことも当然知っている訳で。
沖田さんが行きたかった時間の恰好をしていると思うから。
会津も勝者の作る歴史に捻じ曲げられてきたことも知っているよねきっと。

『朝廷』という解釈自体には引っかかるものがあるのですが。

 

時間遡行軍との戦い

坂上田村麻呂が時間遡行軍を蝦夷だと思っているのがなんか良い。
見た目どう見えているのか問題はまた噴出する訳ですが。

ここまであんなに可愛く無邪気に、ちょっと気怠げに振る舞っていた加州が
「ここは俺に任せな」と低く言うのが堪らなく恰好良い。
「じゃ、おっぱじめるぜぇ!」が久し振りに聞けて嬉しかった。
ここから始まるキレのある殺陣といったら。振りが大変美しくて速い。
鞘も使いつつ、蹴り技も入れてくる。
中の人が蹴りが得意なのもそうだけど、新選組って泥臭くそういう戦い方をしていたと思うので大変好きな戦い方。
そして血振りからの納刀が本当に滑らかで非常に美しい。

この後の検非違使との戦いでも足を使いつつの殺陣で素晴らしかった。
わざわざ床で回転も入れてくれる殺陣の動きの幅の広さよ。
流石の中の人の身体能力の高さが遺憾なく発揮されている。

この戦いが始まる前の鶴丸がわざわざ「折れるなよ」と言うのが気になりましたね。
三日月がめちゃくちゃ強いのは、やっぱり一振で勝手に何度も遠征しているから
レベルもずば抜けて高いという解釈で良いのでしょうか。
三日月の殺陣も、単に刀が長いだけでも見映えが良いのにあの衣装で
袖を大きく振って捌いての刀の振り方が大変恰好良かったです。

まんばちゃんから「怯んでいる暇はない、隙を見せるな」と言われて
加州が「言われなくても」という会話があったんだけど、
殴られてふっとんだだけで怯んではいないと思うんですが…。

あとここの演出、カメラで抜いているところしか見えてないからかもだけれど
男士が切られて負傷準備するのに上手下手に走って去ったのに
出てきたらよれよれなのすごい違和感ありました…。
検非違使が舞台袖まで吹っ飛ばすとかにしてくれた方が自然だったと思う…。

「一度帰る」という鶴丸に「刀剣男士の名折れ」と言う大包平。
わざわざ傷ぎゅーすることなくないですか鶴丸…。
痛い目見せるにしてもつんくらいでいいじゃないか…。
ここで蜂須賀が「やめろ、鶴丸国永」ってはっきり声をあげていて
なんというか優しいひとなんだよなって思いました。
まんばちゃんの止め方は鶴丸との付き合いの長さを感じた。

「手入れがすんだら再出陣する、だから別の部隊を組まないでくれよな」
まただよ鶴丸。わかりにくいんだよ君の苦悩はパライソのときもさぁ。
わざとそうしてるんだろうけどもさぁ。

三日月が種が300年先で芽吹くこともあるという話をするけれど
戦が無い世の中になっても、そこで蝦夷が平和に暮らしていないと
阿弖流為と母禮にとっては意味なくないのかな。誰にとっての平和?
違和感があったなぁ。

 

桜の木の前で

「あのさぁ、」って清光は鶴丸になにを訊こうとしたのだろう。
大包平は謝るけど鶴丸は謝らないのね…。
やり過ぎたって謝ってもいいのよ。
自分的にはまたもやもやするところですこれ。

何故三日月は勝手が許されるのかと言われて「勝手か」と言うの
傷ついているなり不愉快に思っているなりしてそうだ。
仲間の為に動いているから勝手では無い?

「そりゃ知りたいよぉ。当たり前でしょ。三日月が何考えてるのか、とか。他にも。知りたいことは山ほどあるよ。
でもさぁ、あるじゃん。今は訊かない方が良いってことも。
石切丸に怒られたからね。考え無しに突っ込むなって」
桜を見ながら大包平に応じる加州。自分に言い聞かせてるのかな。

「怠慢だ」と言った後「すまない! 八つ当たりだ」と言う大包平好き過ぎる。初演の石切丸と鶴丸も見習って!
加州が謝られる前「そうかもしんないけど、俺」って言いかけてたのがちょっと気になる。

手合わせを申し込まれた時の「もちろん」の言い方が大変好き。

 

水心子と蜂須賀

頼まれたからとは言え、お茶を持ってきてくれる蜂須賀優しい。
おにいちゃんというよりやっぱり天女なんだよなぁ。
「まったくこの本丸の古参の方々は
なにもかもひとりで抱え込もうとする傾向がある。不愉快だ」
こんな優しい「不愉快だ」があるんだね。

 

夜鳴きそばを食べるシーン

山姥切に話を聞こうとする加州

加州が山姥切に大包平の話をする。
「手合わせもしつこくてさぁあ、誰かさんの影響かな」
「出陣先で随分と世話になったんだってね」
これってかのゆきの話をしてるんですかね?

加州はさっき鶴丸に訊こうとしたことを、山姥切に訊いているのだろうか。
「俺も蜂須賀もこの本丸じゃ割と古いけど、それよりも前のことってなんていうか。訊いちゃ駄目なんだと思ってたから」
怠慢と言われたのを酷くない?と声に出しているのちょっと安心したし可愛い。

 

「兎に角、俺は知りたいの」

言い方も可愛いし、訊いては見たけれど教えてはくれないと思っていたんだね。
胡座をかいていたのに、真面目な話をするのに正座に座り直すところが好きだなぁ。
加州の正座、しなれてる感と、姿勢の良さ+なんともいえないちょーんとした感じも堪らなく好き。
お粗末様でした~って器下げるのも可愛い。

無事に戻ってきたら話すなんてフラグ立てるからまんばちゃんがどうにかなるかと思いましたよこの時は。
金打してからの歌が始まるからなにかよほどの覚悟かと思ったんだけど
別に単なる振りのひとつだっただけなのかな。

 

知るべきか、知らざるべきか

この歌の歌詞、
鶴丸「ここまできたのか」
加州「知るべきか」
鶴丸「もうここまできてしまったのか」
加州「知らざるべきか」
が気になりました。
朝いつの間にか月の剣がこの手から逃れるように消えたとも歌っている鶴丸。
そして今度は三日月と鶴丸の掛け合いになり
「やっとここまできたのか」「追うべきか」
「もうここまできてしまったのか」「追わざるべきか」に変わる。

 

再出陣

隊長は山姥切に交替

まんばちゃんが隊長を志願してくるのは鶴丸が動きやすいように。
隊長任務をなくしてあげることで動きたいのはやはり三日月関連なんだろうか。
阿弖流為と母禮が連行されていくのを見て
「2人揃って投降かー」「あぁ」と言う加州と蜂須賀。
幕末天狼傳の近藤さんと土方さんと重ねているのかなという印象。

今回時間遡行軍の意図がいまいち見えなかった気がするんだけど
坂上田村麻呂を亡き者にすることで歴史を変えようとしていたのだろうか。

加州の刀を当ててからぐっと押し切る殺陣が殺意に満ちていて好きだ。

 

坂上田村麻呂の護衛に

「さっすが大将軍ー」の掛け声はちょっと深読みしながら見ていたけどどうだろう。
いくぞと言われて「はーい」と言いながらてってっと小走りに行くのが可愛いなぁ。

ここで「何をしでかすかわからないから」と鶴丸の方に水心子を行かせる山姥切。
「優しいよね、君も」と言う蜂須賀は、というかそもそも山姥切も
この後起きることをどこまで予測しての言動だったのだろう。

加州と阿弖流為の会話。
なんで逃げなかったのかって本人に訊いちゃうのは、どこかで逃げてもいいのにって思っているのかな。
阿弖流為「この命をどう使うか間違う訳にはいかないからな」
加州「そういうこと言ったやつ他にも知ってるけど狡いよね。恰好つけて、先にいっちゃう」
些細なことだけど狼らしき声に阿弖流為も声真似をしたら
狼からなんらかの声が返ってきてほしかったな。
通じないならただ真似しただけみたいになっちゃう。
当時の狼なんてすごく危険だったと思うし。

「俺は俺を使い切ることにした。それをいつかどこかの誰かが
恰好良いと言ってくれるなら俺の死は悪いものではない」
もし本物の阿弖流為もそう思っていたなら少しは救われるのだけれど。
蜂須賀「それがあなたの生き方か」
加州「恰好良いじゃん」
この後の蜂須賀の目を凝らせば見えるとおもっていた日の光に沈む星の話。
ごめん、私は唐突な熱量に感じてしまったなぁ。脚本的に。
蜂須賀のお芝居自体はすごく真摯な感じで良かったんだけど。
「あなたの物語はいつかきっと誰かの暗闇を照らす光となる」。
後ろでちょっとにっと微笑んでいる加州も良いし。
割と加州は自分の思いを吐露するより聞き役に回るか引いてみている感じも多かった印象。
この阿弖流為の歌も一緒に歌って拍子をとったりしていて可愛いんだよなぁ。

 

鶴丸と水心子、そして三日月

この鶴丸の行動の真意は

鶴丸「おまえは飽きるまで寄り添ってやんな。もう俺にはできないからな」
と不穏ななことを言って水心子に斬りかかりながら
「おいいいのか。このままだと折っちまうぞ。そんな驚きを味わいたいのか」
いやこれ、鶴丸だいぶ酷くないですか…?
いやこれはこういうことだから酷くないって考察書かれてる方のも読んだんですけど自分は納得いかなくて。
水心子を餌に誘き寄せようとしたようにしか見えない。
三日月も分かっていて出てきたように見える。
その行為自体が残虐だとどれくらい刀剣男士が思っているかはわからないけどね。
たとえば人である新選組が真剣で稽古だってしてたのなら、
手入れすれば直る刀剣男士は普段から実際切りつけても別に平気なのかもしれないし。

 

鶴丸は何がしたくて別行動を取ったのか

それはそれとしても、そんな発言をするからには
鶴丸は本丸を出ていくのか、三日月を折るのかするかと思った。
三日月とちょっと言葉を交わしただけで
「あのとき刀を交えていればなにかが違ったか」
「主が悲しんでる。年寄りは約束守るんじゃねぇのかよ」
これに対する「守っているつもりだ俺なりにな」の返しも気になったけど
鶴さんが水心子に悪かったなと立つのに手を貸すだけなのがモヤモヤ。
水心子普通に質問してるけど怒っても良いと思うよ?
鶴丸は三日月をどうしたいんだろう。

あとそれとは関係なしに、シンクロさせた殺陣だろうに
袖の幅や重さが違うから仕方ないけど鶴さんの袖が真っ直ぐじゃなく
くるくるなりがちで、どっちも真っ直ぐ垂れたまま閃いていたら
どんなにか美しかったろうって思いました。

 

坂上田村麻呂を守っての戦い

ここで最初に対になったのは加州と蜂須賀だったよね。
さっきの夜の会話のときもそうだし、屡々ペアにはなるんだけど…。
これはまとめて後述します。
取り敢えず殺陣の中にジャンプを入れて上から斬りおろしている加州は恰好良かった。

阿弖流為の台詞は良かった。頷くことが多かった。
加州「人間てさ、時々馬鹿なことで悩むよね。誰だって痛いのも死ぬのも嫌な癖に」
阿弖流為「戦を始める者の多くは戦場を知らない。興味もない。
都合の良い結果を首を長くして待っているだけ。でもそれでいい。
そうでなければ続けられない。戦をやめたくなる。
馬鹿げた無益なことだと気づいてしまう。
疑問に気づかないふりをしながら次の戦を乗り切らねばならない」
加州「うん。そうだね」(ここの言い方好き)

「揺るぎなき終止符、打つんでしょ」の顔が凄い力入ってるんだよね。
こんなに感情移入するのは新選組に重ねてるってことでいいのかな。
史実上本当に文字通り復讐として生贄として殺されたからな、近藤さんは。
ただそれが幕末天狼傳で描かれていたかっていうと自分はあの話そこまで納得はいってないんですけど。

 

検非違使5体との戦闘

囮になる加州と鶴丸

「俺が引き付けるよ!」無茶は通じないと鶴丸に言われても
「でもやるしかないよね」。
「こっちだ」の気合の入り方は恰好良いし、
加州が囮役を引き受けようとするのは性格的にも分かる。
見映え的にも紅白で綺麗ではあった。
でも機動で言ったらまんばちゃんや蜂須賀でも良かったと思うんだ。

さっきのまんばちゃんの歌からの殺陣演出も好きだったけれど
ここで三日月が歌い上げる前での死闘も良かった。
鶴丸が階段からぴょんと飛んで攻撃を避けて笑って走っていくのが
鶴丸みがあって大変よろしい。

 

加州の振り向き方が天才の所業

ここでも書いたんですけど、「フェイントに見せかけて攻撃!」の後
「いいねぇ」と鶴丸が左手に持った鞘で加州の左肩をとんってした時
鶴丸を振り返るんじゃなくまず肩を見てから鶴丸を見るのが天才的。
些細な動作だし別に鶴丸を真っ直ぐ振り返っても違和感がある訳じゃない。
だけど、敵に切っ先を向けて牽制している時にとんっとされたら
何かが肩に当たったと思ってまず肩を見るのが自然な反応なんだよね。
もう、こういうところが好きなんだよ流司くん。
本当に生きてるんだよな、そこに加州が。
稽古した芝居をなぞるということを絶対しないの。

 

鶴丸の約束とは

鶴丸「だが脇が甘いぜ」
加州「よくそうやって稽古つけてもらってたな」
鶴丸「うるせぇじじいだって言いたいのか」
加州「そうかもね」
鶴丸「約束があんだよ」
加州「へぇ」
ここの会話って、どういうことでしょうね。

 

刀剣乱舞

まさか国歌がここでこういうアレンジで歌われると思わなくて震えた。
ここでも加州が凄いと思ったの、三日月が歌い出す直前に槍の石突で突かれて倒れるんだけど。
「俺はこの手伸ばす」の歌詞のところで
敵に手を伸ばして必死で立ち上がって斬るのが最高に恰好良かったんだ。

そして毎度一番に「あーっ」ってちょっと気の抜けたくらいの声をあげる。
あつかしの時より逆に気持ちの余裕がある故にも思えた。

 

更に現れる検非違使

大包平を倒れさせ、更に槍を構えた時
加州が「させない!」と割って入る。
この刀をくるっと回して突くやり方、何度かここまでにやってましたよね。
加州得意の突き技ってところか。でも、疲れもあってか先を越される。

これ、折られたかと思いました。
今回やたら歌詞や台詞に「折れる」が多かったし、いつかはミュ本丸にもきてもおかしくないことで
それは既に初期刀がそうなっていると思わせておいてここでくるんかと。
まぁ違ったんですけど。

ここで検非違使を斬って遠ざけふらふらになりつつ「清光!」って
駆け寄ってくる蜂須賀がめちゃくちゃに好きでした。
絆を感じた。

大包平が完全に地に伏してしまっていて
あそこで加州が割り込んでなければ確実に折られていたと思うのに
「考え無しに突っ込むなとどれだけ」と山姥切に言われたのが納得いかなかった…。
どうも山姥切が背中を見せたところで庇った歌仙が折れたっぽいから
山姥切のトラウマみたいなものなのだろうけれど
また加州悪者ー?って気分にちょっとなった。
(あつかし初演で石切丸が怒って加州しか謝らなかったのずっと引きずってるんで…。)
「山姥切」って大包平が言ったのが、これは自分のせいだってニュアンスが入っているような自分がそう聞きたいだけなような。

三日月が来た時の鶴丸の舌打ちがとても鶴丸でこれも良かったなぁ。

 

真剣必殺の迫力たるや

加州の真剣必殺はこの上なく最高に加州だった。
あのイラストが3次元になって動いたらこうなるんだ、と納得。
そもそも今回、何度か「あれまた加州ヒール高くした?」って思ったんですよ。普通に勘違いなんですけど。
幕末やる時にご自分からいけるってヒールありのブーツに変えた流司くん。
やっぱり加州と言えばあのブーツだもんなぁ。
いくらなんでもピンヒールは危なすぎるというか別にフラットのでもいいんだよって思ってるけど
気持ち的には履いてるのはあのピンヒールのブーツなんだろうなって。
足の動かし方とか膝の角度を見てそう感じて。
だからヒールの高さ違うのかなって思ったんですけど。

シャツをはだけて刀を構えてからのつま先立ちになってのあの膝の角度。
気合いの入った斬り付け、大きく振りかぶって突き刺し引き抜くまでの一連の鬼気迫る表情。
その後の立ち方。すべてが完璧だった。

 

思考することはいけないこと?

水心子「折れたらどこに行くのだろう」
蜂須賀「引きずり込まれるな」
この会話も私は突然に感じられたのですが。
蜂須賀「心もそうだが思考というのも厄介なものだ。
俺たちは人ではない。刀剣男士なのだから」
心と思いを今回すごい分けようとするよねって印象にもなりました。
今までもそういう感じでしたっけ。

刀剣男士だから、という言葉で印象的なの、らぶフェス2016の清光なんだけど
あれは全部選ぶ、全部繋ぐという文脈。
それに比べてこの蜂須賀のはネガティブに思える。
刀剣じゃなく刀剣男士になったのは、心を動かすことも重要視されたからじゃないのかな。
悲しいと思ったことを突き詰めて考えることはいけないことなの?
心に振り回されないことは、「痛みに鈍感になるな」と矛盾してしまうと思うんだよな。

 

箱馬から飛び降りる加州もまた天才

「すっかり男前だ」と鶴丸に冷やかされて「うっさいよ」と下に飛び降りる加州。
ここまでのシーンでもこの結構高めの位置から軽やかに飛び降りるの何度もやってたけど
まずもってそれが加州の身体能力イメージと完全一致な上、都度飛び降り方が違って
ここではふらふらでちょっと重めの足音をたてながら片手をついている。

NARUTOのサスケ見た時も思ったんですよね。飛び降り方毎回変えてるなーと。
でそんなサスケの飛び降り方とも違う訳で。
箱馬の降り方ひとつでそんなにバリエーションありますか普通。

 

次に繋げるとは

山姥切に拳骨をくらった時の「いった」加州過ぎた可愛い。
諭すように鶴丸が
「良かったなぁその程度で。
手入れすれば傷は治る。だが時間が過ぎるほどに深くなる傷もある」
と言って。鶴丸から傷ぐりぐりはされなかったですけど
いや、拳骨くらうようなこと加州しました?
心配かけやがって!は分かるんですけど、大包平がやられちゃってもいいの??
加州「わかってる。次につなげること、それが新選組の戦い方だ」
大包平「同感だ。折れずに無事に帰ることこそ」
までの一連の会話も正直唐突に感じたなぁ。
時間が過ぎるほど深くなるのはメンタル面だと思うのだけど。

新選組の戦い方ねぇ…。
誰かが折れたら傷を負うのは周りであって本人じゃないし、新選組の戦い方なら寧ろ自分より敵を倒すことを重要視していると思う。
後世で恰好良いって言われてるから次に繋がっているのかもしれないけど
それを繋げると呼ぶなら折れても繋がるだろうし。

 

見届けてから帰りたい

「早く世話されに戻れ」という言い方がすごく三日月で。
「いやだ」の言い方もまた好きだったなぁ。
台詞の後、声の音が終わるぎりぎりの響かせ方が加州なんだよほんとに。
笑って「嫌か」と言う三日月。
あつかしであれだけ一緒にいた三日月と加州
しかもらぶフェス2016では花一匁状態で
モテモテになっていたそんな距離感のふたりに
今回見えなかったんですよね。ふたりの会話って唯一ここだけ。
あとは遠慮して下がっていて見守るだけだったから、
三日月と加州だなぁってしみじみした。
困らせているのはどっちかと言えば今回は加州の方だけれど。

「あの人たちの最期、ちゃんと見届けてから帰りたい」
はぐっと来たな。
無茶してごめん、と言われて帰還を先延ばす山姥切。
「ありがとう」の言い方も切なくて。

 

三日月に何が起きているのか

この後の三日月のシーン、単なる三日月の回想ではなくて
頭痛からのノイズだらけ、そして相当苦しそうに正気に返る。
そして「笑っている場合ではない」。
うーん、やっぱり三日月が一番無茶をしていて、それで三日月本体に
影響が出てきてそうだよなぁこれ。

 

阿弖流為と母禮の処刑

ここにも何度も来ている三日月宗近。数えることをやめるほど。
すぐに何度目だと察する阿弖流為。
「ここで逃げた俺はいたか」は良い台詞だった。

水心子が伝言を伝えている時、そっと階段を降りてきて
何も言わず三日月を見ている加州が良い。

鶴丸「あんま無理すんなよ」
三日月「しゃらくせぇ」
も良かったよね。

歌詞でも繋がれ、種、というのがあって
そこが脚本家の方の伝えたいことなんだろうなというのは思いました。
自分が納得できたかとは別で。

 

再びお蕎麦

ステのおはぎの宴並みに、お蕎麦と七味誰かへの嫌がらせで
定着してもいいと思う。笑
「ありがとう」ってやめさせようとする加州只管可愛い。
てゆーか怒りをそういう表現の仕方しないでよまんばちゃん。
食べ物を粗末にするなって大包平言うけどこの場合食べ物で遊んで粗末にしているのはまんばちゃんだよ。
待って待って言う加州可愛い。

約束はてっきり加州と山姥切のものだと思っていて、
あっても「俺も蜂須賀も知らない」だったから蜂須賀と3振いる場所で
話されるかと思っていたので、みんなで和気藹々聞くことになるとは思いませんでした。

 

桜の前で

三日月も言っているけれど本当に立派な木で。
樹齢一体これどれだけあるんですか。
この木を人見知りっぽいというからこれが歌仙の木なの?
植えてこんなに育つまでそんな長時間がこの本丸では過ぎているの?
それなのに2振目の歌仙すら現れないの?

度々、三日月がいない公演で三日月が後ろに出る演出があるけど
三日月の欠けている部分って光が当たっていないだけでそこに月はあるのに
普通ーにその暗い部分にも星書いちゃうじゃないミュの美術さん。
桜の樹齢も実は整合性考えてないかもって思ってしまったりもする。

 

考察

ミュ本丸の初期刀問題

人見知りな刀剣男士

これはもう、歌仙ですよね。言ってるも同然。
人見知りっぽい桜という加州の発言。
歌仙は人見知りだと小夜ちゃんが言ってましたもんね。

審神者と鶴丸の会話で、
主の好きな花が桜だから、新しい刀剣男士が顕現する度に桜を植えていくことにしようと提案したそのひとは、覚悟が足りなかったという主に言った。
「僕たちは君の愛で咲く花だから」。
シンプルに、初期刀の中で一人称が僕なのは歌仙兼定しかいない。

この桜を植える話の発案者が歌仙なこと、
三日月は鶴丸に聞いて把握したっぽいですが。

山姥切を庇った男士へのみんなの叫びは「***さだああっ」に聞こえたし
これはもうシンプルに歌仙兼定でしょうね。

歌仙自体は好きだし顕現してくれるのは嬉しい。
ただ、ノックスの十戒という推理小説のルールのひとつに
『犯人は、物語の当初に登場していなければならない』というのがあって。
刀ミュがミステリかと言われば違うだろうけど、謎解き要素はある訳で。
ずっと誰だろう誰だろうと思っていて新しい人が「初期刀です」より
最初からいた加州、そうじゃなくても蜂須賀か陸奥守であって欲しかった。

 

本丸ではどういう捉え方なのか

かのゆきで「初期刀はあんたじゃないのか」とまんばちゃんが訊かれてたけど
本丸でどういう話になっているのかが全くわからなくなっちゃうんだよな。
初期刀が歌仙だけそろってない、短刀が少なくて打刀レシピばかり回す審神者。初期刀は誰、一番古いの山姥切だから山姥切じゃない?みたいな?
だったら別にそうなんだろうなで終わりだと思うんだけど、疑問になる
タブーな空気になるのはなんでなの?
何故か歌仙の桜の存在を気づいていないひとも多いくらいなんでしょう?
てっきり突き止めちゃったら既にいる刀が2振目ってことになっちゃうから
おいそれと軽々しく訊けない空気になっているのだと思っていた。

今回ほぼ断言したに近いレベルで歌仙兼定ですってネタを
あれだけばらまいておいて、今回ネタばらしせずに引っ張って次回以降で
「実は歌仙でしたー!」って言われましても。
知ってましたけど…ってなっちゃうから、初期刀は確定にしても
流石になにか他にもネタは仕込んであると信じたい。

 

勃発した初鍛刀問題

あんまり初鍛刀を重要視したメディアミックスてなかったことないです?
と言っても自分があんまり追えてないからかもしれないけど。
ゲームや二次創作でファンが大事にしているイメージしかなかったのでこれはちょっと興味深い。

でわざわざ初鍛刀の名前までノイズでぼかしたからにはただ『まだ秘密だよ』じゃなく初鍛刀もなにかあって欲しいと思ってる。
桜の木は1本しか多くないのも、そもそも審神者と歌仙で始めたことだから歌仙の分はなくて、これはミスリードの為の布石であり初鍛刀の分が多いのだ、とか。(でもあれが人見知りっぽい桜だから多分それは無い)

初期刀の歌仙と初鍛刀がいて、三日月が来て、鶴丸が来て
「この本丸のことは***と***に訊いてください」と審神者が言い
その後山姥切が来て。

自分は初期刀は加州であって欲しいと思っていた。そうじゃないと
筋が通らない部分があると思っていたから。
あつかしから出ていて他の新選組刀はみんな行っているのに修行に行かせてもらえない、
幕末でも沖田さんと対峙させてもらえない、
石切丸に一方的に怒られるに加え今回まんばちゃんに怒られたこと等々
これが初鍛刀が加州だというならそれはそれで筋が通る。

のだけれど、まず審神者が言っていた
「初期刀と初鍛刀に訊いてください」
のセリフのノイズ終わり際、どうしても母音がiに聞こえる。
「り」とか「き」とか。
もし初鍛刀が加州なら、かのゆきで兼さんがきたのは「たまたま」
というのも、まんばちゃんがちょっと話しづらいからという
初期刀加州説の根拠がここもそのまま当てはまるので納得いくし、
だから今回真っ直ぐにせがまれて説明しようと決意した、
だからこそのまんばちゃんの金打かと思ったんだけど。
しかしそれだとかのゆきから受けた印象に比べるとまんばちゃんが明るくて
昔話を語るような調子だったことと、加州以外の男士も一緒にその話を聞かせるのはちょっとデリカシーが無いと思う。
みんなが加州は2振目だということは知っているなら話は別だけど。

最後の母音がいになる鍛刀で出せる男士は
岩融、今剣、一期一振、五虎退、明石国行、愛染国俊、
蜻蛉切、むっちゃん、髭切、太郎、次郎 あたり?
明らかに何かありそうな前フリとしては明石は既にあったけど
あおさく見ているとそういう感じでもなさそうだし
今まで公演に出たことのない男士と考えるのが妥当か。
愛染あたりかなぁ。

そうなった場合、次回以降でいきなり、もしくはシークレットで
歌仙と初鍛刀が顕現するとなったとき一体誰にその重荷を背負わせるんだ…?
初期刀なんて既にステにものすごく素敵な歌仙がいる中で、しかもこれだけミュ本丸が大きくなった上ここまでの前フリに次ぐ前フリの後で
「この人がミュ歌仙の中の人です」って、ミュが始まった時の麻璃央くんよりも酷い重圧だと思うんだけれど。
しかも自分が最古参でございって出てくるわけでしょ、再鍛刀orドロップで今回新しく来ましたよーじゃなく、過去話をするなら。
できそうな人いる?
わだっくまの歌仙しか出てこないもの今は。
そのイメージを吹き飛ばして「この歌仙もありだね」って思わせられる演技ができる2.5に出られそうな役者さんでまだ刀剣乱舞に出たことない人……誰?

で、ごめんねちょっと今の心境では、全く新しいひとたちを最古参だって
初期刀と初鍛刀はこのふたりだよってお出しされてあんまり受け入れられる気がしない…。
勿論別にキャラや役者さんには全く非はなくてステ本丸の清光を見て
羨ましすぎて直視できない今の気持ちと近いものだと思う。

 

平安時代とはミュ本丸にとってどういう場所なのか

何故平安末期に出陣したのか

そもそもですよ。
今回の平安初期は普通なら行けない、三日月が”開いた”遠征先な訳じゃないですか。
じゃあ平安末期は?
ぎりぎりの時期ではあるけれど、一応阿津賀志山は鎌倉時代でしょう?
なんでまだ始めたばかりの弱小本丸だっただろうミュ本丸が
そんな特殊な戦地に隊を送り込む羽目になったのだろうか。
鶴丸の反応は「なるほど、北か」でなんでそんな所へ?って感じではないんだよな。

 

出陣したのは誰なのか

いずれにせよその点が特殊でないなら編成は6振で行ったはず。
出陣したのは歌仙、三日月、鶴丸、山姥切とあと2振は誰なのか。
この本丸の中で何かを知っている側にいそうなの、
石切丸とか青江とか。兼さんもまんばちゃんの何かはわかってそうだったけど。

歌仙は折れたのではなくMIA(作戦行動中行方不明)扱いなのか。
放棄された世界的な特殊な所が遠征先だったから。
しかしだとしたら、三日月がしていることは必死の救助策であって
「けして見つからないものをまだ探している」ことにはならないと思うのだ。

今回の出陣先を聞いた後まんばちゃんが離席してから
「道を作ったのはあいつか。掴まえたらどうする? 折るか」
と鶴さんが言った時、審神者が何を言い出すんだ!ってニュアンスでいてくれたからちょっとほっとした。
問題行動を起こす刀剣男士は処分しないとみたいな話には少なくともまだミュ本丸ではなっていなさそう。
ただ、審神者も三日月が勝手なことをしているのは知っている訳だ。

まんばちゃんの前でそれを言わなかった鶴丸。
まんばちゃんは当事者とは違うのだろうか。加州に
「三日月のことなら鶴丸に訊け」と言っていたしな。
三日月に開かれた場所で鶴丸がやりたいことはなんだった?
三日月を止めること?
山姥切はそれを察して動きやすいよう隊長を買ってくれる訳だけど。

 

平安初期を守ることで守られるのはなんなのか

三日月は検非違使がたくさんやってきて被害甚大になる可能性はわかっていて
今回わざわざどうにかして開いてこの時代へ出陣させた意図はなんだったのか。
平安初期の歴史が変われば末期の歴史も変わってしまうから。
だけだと…弱くないか?
諸説に逃がせない部分の歴史なら変わったらどんな影響が出るかわからないのは同じはず。

あなたは一体何を守ったんだ、と言っていた水心子。
三日月の暗躍が明らかになり始めた最初は
”諸説に逃がす”で史実上どうしてもはっきりしている人以外の
命を救ってくれていたとただ思ったのだけれど。
三日月の目的はそれだけではない、逃して物部にした人たちを利用して
歌仙を救い出すことが本来の目的? 
刀剣男士としては許せないけれど仲間としてはみたいな葛藤なのだろうか。

 

三日月はどこにいるのか

三日月の気配を感じて鶴の羽を忍ばせてやった阿津賀志山とはいつのどのタイミングのことなのだろう。

まんばちゃんによると
「蝦夷に武器を与えていた部族が物部を名乗っていたという読本がある」。
史実上なんら可笑しいところは無いのだけれど、三日月が暗躍しての物部と言われると、こっちは違うこと考えるよね。
蝦夷が勝つ世界線を作ろうとしていたんだろうか。

検非違使とエンカウントした時
「三日月宗近。なぜここに」「てめぇには訊きたいことがたくさんある」
という鶴さんたちの言葉がありましたが。
本丸に帰ったら訊けばいいのにそれはできないんだろうか。
じゃあ、本丸にはもういないの? と思ったけれど、
その後の大包平、鶴丸、清光の会話のシーンで
「三日月宗近はなぜあそこにいた。主の命か」と大包平が言うということは
あそこに居たことは意外だけど命なら許せる程度の段階ってこと?
しょっちゅう出歩いているだけで本丸には一応いるの?

 

鶴丸は何をしようとしているのか

桜の発案は歌仙という会話の後、
「たまには昔話も悪くないな。だが俺と主だけで話すのは勿体ないだろう。
まぁ約束はできねぇが。善処するよ」
「頼みます」が
三日月を連れ戻すなのか歌仙を連れ戻すなのか、はたまた初鍛刀の話か。

これステのちょいネタバレになるんですけど

 

ステだと本丸に三日月も初期刀も『居ない』じゃないですか。
どの時間軸かとか三日月や山姥切の概念とか解釈によるけれど。

 

ミュ本丸の三日月は、本丸にいる? ちゃんと帰ってくる?

 

鶴丸と三日月の約束とはなんなのか

「あんた(山姥切)や三日月が抱えている悲しみ」という言い方を加州がしていた。
鶴丸は悲しみの中には入っていないのか、加州が把握していないのか。
いや把握していないなら鶴丸に訊こうとはしないか。
まだ探している。けして見つからないものを。

歌仙を連れ戻す、という約束をして、やればやるほど無理だということがわかるばかりで
それでも三日月は暗躍を続け、鶴丸は約束を呪いに感じ始めている
という感じなのかな。
”この手から逃れるように消えた”という歌詞があって、
本丸にいないということなのか、『隣』から消えたということなのか
わからないけれど、三日月としては
「やっとここまできた もうここまできてしまった」
というなにがしかの大詰めで、それを鶴丸は
追うべきか追わざるべきか悩んでいる。
その後水心子に「おまえは飽きるまで寄り添ってやんな。もう俺にはできないからな」と言ったけれど
鶴丸は三日月には寄り添えない、歌仙を諦めるつもりということ?
これまでは寄り添ってきたの?
最後の会話を見ていても訣別には見えなかった。

でも、「主が悲しんでる。年寄りは約束守るんじゃねぇのかよ」なら
約束を守っていないのは三日月。
三日月なりに守っているつもりの約束は、”側にいる”とかだろうか。
「あのとき刀を交えていればなにかが違ったか」。
実際は刀を交えず、三日月が暗躍を始めることを止めなかったから
こうなっているということなのかと思ったのだけれど。

検非違使と戦っている時に稽古つけてもらってた話の中で急に
「約束がある」と鶴丸が言い出すのも謎なんだよなぁ。
対する加州はそれを変なことには思っていなさそう。
煩いと思われるくらいに稽古をつけていた、もう誰も折らせたくない
歌仙のようには みたいな話?

ミュ本丸では同じ刀は人間界のクローン並に倫理的問題があって普通やらないことなのに
それを三日月がやろうとしている、とか?

思わせぶりな言葉がたくさんあるけれど、どれも矛盾するというか
すっきりしなくてうまく繋がらない気がする。

 

山姥切が加州たちに話したことはなんだったのか

この内容って、今後も回想的に我々にお出しされることはなくて
これを聞いた後の誰かの行動から今後窺い知ることしかできないんでしょうか。
現時点では、自分のせいで歌仙を失ったのが山姥切の悲しみなんだろうとは思う。
でもそれだけなら、どこから話したらいいかわからない、かな?
何故か平安末期に行くことになった事情から話す感じなんだろうか。

古い刀のはずの加州と蜂須賀たちも訊きづらい雰囲気だったほどのこと、
どうして急に話す気になったんだろう。

かのゆきで兼さんが来た時に
「お前が来るとは思わなかった」「たまたまだ」という会話は一体なんだったのか。
あれでだいぶ自分は初期刀が加州で自分のせいで折れたから
2振目の加州に来られると気まずいんじゃないかという考えに傾いたのだけれど。
かのゆきで抱いた印象より、山姥切が明るくてちょっとした昔話を話すようなテンションで
周りもタブーだと思って訊くことすら躊躇われた
古参勢の辛い過去の告白っぽく思えなかったんですが…。

とは言えあそこまでフラグ建築してからの帰還からの告白だから
嘘をついたり一部しか話さなかったりということは無いと思うのだけど。

実は初期刀は自分ではない、歌仙がいた、彼は折れた or MIAした。
三日月はなんとか連れ戻そうとしている。
なら、折れてないよね、MIAだよね。
流石に折れてたら直せないと思うんだけど。

 

加州は本当に”重傷”だったのか

あんまりここ拘っている方の感想を見かけない気がするけど
あれ、本当に折れてなくてただ重傷なだけ?
わざわざ腹部だけじゃなく背中まで血糊のついたシャツに着替えているからには
完全に貫かれた設定な訳じゃないですか。
はだけた腹部の血糊はそんな感じではなかったけども。

勿論脚本の整合性とかより見映え優先ならそんなに拘る箇所じゃないと思う。
槍で検非違使に貫かれる方が絵的に衝撃だから。わかりやすいから。
それだけなんだったら、本当にただそれだけかもしれない。

でも、いくら刀剣男士でも、腹を貫かれて重傷で済むの?
確かにゲーム的にはすぐには折れないけど、結局”更なる進軍”を決めたよね。
そしたら、ゲームだったら折れかねない。

貫かれてあんなに瀕死の状態に見えたのに、真剣必殺後は
ふらふらはしているけど普通に喋って歩いているのが違和感だった。
もしこれが、お守り持ってました、なら分かる。

  

加州と蜂須賀の役割はなんだったのか

好きだったふたりの関係値

私加州と蜂須賀の関係ってなかなか好きなんですよ。
本編は幕末天狼傳でしか一緒に出陣していない訳だけど、あの中で
加州って中立だったでしょ。
新選組刀ばかりの中で、
”自分の元持ち主が尊敬する師匠である近藤さんの刀に嫌な態度を取る刀”
な蜂須賀に普通に接してたし、
自分に落ち度があって外されたのじゃないなら、と納得して蜂須賀に隊長を任せ、安定の為に頭を下げにもいった。
新選組刀とは違う対等でニュートラルで、それでいてちゃんと仲間な関係性が好きで。
だから今回、幕末以降のふたりの関係性の化も見られるのかなと思っていた。

けど、加州が「俺も蜂須賀も割と古いけど」と言うのと
蜂須賀が加州のピンチに「清光!」と悲鳴のように叫んでくれたこと、
くらいだったのは残念だった。
遠征先で度々ペア行動を取ってはいたのに、目に見えるのはそれくらいだった。
パンフでもペアだったのに。

 

今回の刃選の中で、どうしてもこの刀でなければいけなかったか

今回これだけのキャストを揃えて、この人たちがいないと動かない話だったか。
結果、この刃選である意味あったのは三日月と山姥切と鶴丸だけですよね。
まぁ水心子も伝言伝えてたし、ムードメーカーとして大包平も重要だった。

じゃあ加州と蜂須賀って必要だった? 別に突っ走って返り討ちになったりお茶をあげたりする役回りだけならぶっちゃけ他の男士でも良かったと思う。

平安末期に出陣したのが歌仙、山姥切、三日月、鶴丸、蜂須賀、加州だったというなら分かる。
しかし少なくとも加州ははっきりその頃のことを知らないと言っている。
蜂須賀は加州が蜂須賀も自分と一緒だと思いこんでいるだけで、知ってて黙っている可能性はワンチャンあるけど、取り敢えず今回の物語の中では何も察せるものはなかった。

誰でも良かったなら、この2振でも良かったよ。でもさ。
ここ蜂須賀推しさんと気持ちを共有できるところなんじゃないかと思うのだけれど、
私たちってここまで何年待ったのかと。

 

あれから7年待ちに待った出陣だった

いつになったら彼らの話が進むのか

ミュ清光がこの世に生まれたのが2015年。
あつかし、幕末と2016年に上演して、それは間に加州単騎もあったしはっちはずっとフェス系出てくれてたよ。
2018年は加州があつパリつまり再演、これはまぁイベント出展みたいなものだから別としても
やっと本公演に出ると思った2020年、また幕末の再演だったじゃないですか。
出ないよりいいよ嬉しいよ。でも話を進めて欲しかったよ。
そこから遂に満を持しての2024年一蓮だと思った。
それがこれですよ。
ふたりともメインじゃない、ふたりじゃなきゃいけない理由がよくわからない。
前の出陣以上の見せ場があって然るべきと思ったら特に無く。
加州はまだ見せ場があった、かもしれないけど、逆に言えば脚本的に都合良く使われたようにも思えた。
蜂須賀は前回虎徹殴った時は恰好良かったのに、今回は熱を込めた台詞はちょくちょくあったけど、
寧ろどうしてそこではっちが熱がこもるのかイマイチわからないって思ってしまった。

ミュの再演でちょっとだけ内容が変わったのは通常の再演と同じく
折角だからちょっと変えよう、なだけなんだろうか。
再演にもし意味がなかったなら、再演してないで早く話進めて欲しかったと思ってしまうんだけど
流石に意味はあって欲しいし、仕込んでいたネタ的にパライソを再演にしたら
それが壊れちゃうんで公演計画練り直しの時困っていたのじゃないか
とか予想していたんですがね。

 

カンストはしていないけれど成長はしている程度の時間経過

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で、加州はカンストくらいいっていると思っていたのに思春期と茅野さんに言われたそうで
だから流司くんはだいぶアジャストしたんだろうなということは端々から伝わった。
下手したら2015年の加州よりも可愛いくらいに、瑞々しい。
台詞の言い方も幼さすら感じる若さ。
可愛くていじられキャラは今回だと水心子になるかと思っていたのに
すっかり加州の役目で。
あつかしの時の方が隊長としてしっかりしようと背伸びしている感じ、
新選組と出ていた時は対等感、
今回は力まない多少成長もしたけれどカンストまでじゃないという感じだからか
末っ子感があった。
只管可愛い。可愛いが限界突破してた。
感想部分でも書いたけれど足の角度から声の出し方、華奢な立ち姿、
全てが加州清光だった。

でも、だったら加州は幕末天狼傳の後どこで何をしていたの?
新選組の仲間は修行へ行き、兼さんなんてもう極めて戻ってきたほど
時間が経過しているのに。

パンフレットでは
ふたりとももう少し苦しいことを知ったり乗り越えたりすると大人になるポジションで、
これまでは人の話を聞いて成長していく与えられる側だったけれど、今作は与える側
と流司くんが発言していた。
確かに戦いぶりはふたりとも恰好良かったよ。
戦っているときのはっち声低くてきっぱりしててかっこいいし
加州は前より動きの種類が増えてキレも増してて、
前より成長している感はあったよ。
でも審神者、少なくとも加州はカンストしててもおかしくないくらいだと思ってたからさ。
ふたりのお蔭で与えられたのって…? 蜂須賀が水心子に与えてる感じは数回あったけど…。

9年間、加州と蜂須賀はどこでなにをしていたんだろう。
見えてこなかったんだよ。
ふたりの素晴らしい演技から汲み取ろうとすることはできても
脚本からは分からなかったんだ。

ふたりとも、阿弖流為と母禮を自分の思う誰かに重ねた発言をたくさんしていたけれど、で? 次に繋がるのはどこへ繋がるんだろう、ふたりは。
この先また出番はあるのかもしれない。
だとして、それがくるの何年後?
そしてその時加州と蜂須賀の中の人って誰?
ちゃんと流司くんと健介くんのままなの?

自分としては今のふたりが好きで今のふたりに報われて欲しいから
キャス変してから出番が来ても正直そんなに嬉しくない。

 

初期キャストには全員物語の中で報われて欲しい

ここまで刀剣男士が増えて、全員にスポットライトを均等に当てるのは難しいとは思う。
けどせめて、あつかし・幕末のメンバーは物語の中で一定の成長をさせてあげて欲しい。
ミュを支えてきてくれたあつかし・幕末のメンバーには本当に心の底から感謝しているからどうしても肩入れしちゃう。

三日月は正直もう別枠なのでおいておくとして、
小狐丸もつはものには出ているけど報われてないと思っている。
石切丸は報われた、とは違うけどみほとせがかなりの大役だったし
すっごく話的に良い役回りだった。
新選組刀はむすはじで全員修行へ行ったから一応成長する。
(でも幕末・むすはじのストーリーはあんまり納得いかないところはある)
加州は2回続けて出演したけど、隊長として三条に振り回された後
新選組と出陣したけど傍観者ポジション。
蜂須賀に至っては幕末にしか出てない。

自分が好きなのは今剣と岩融の話。
このふたりはすごく綺麗に、つはもので”報われた”と思っている。
あつかしで必死になりつはものでまた違った苦悩を得て
ふたりでちゃんと乗り越えて、
心で泣きつつも、さらなる成長の為修行へ行く今剣を見送る岩融。
本当に綺麗に、第一部完、という感じで終わったと思っている。

だから、まだ報われてないな、この人が主役って感じの役回りもらってないなと思う男士の内2振が、初期刀誰問題に答えを出しそうという時に出てくる。
しかも初期刀組の2振。これで期待せずにはいられなかった。
ふたりのどっちかが初期刀か、そうじゃなくてもメインに食い込む話運びになるんだと思ってた。

けど、違った。

 

舞台上の立ち位置の疑問

なんで加州と蜂須賀が出陣したのか。
メタ要素を除くと正直わからないよ。

この本丸では古い方の刀なのに、加州も蜂須賀も
古参の方々からは何も話してもらえないポジションにいる。
加州は三日月と出陣したことがあって、三条に欲しいとまで言われていてもだ。(これは本編の話ではないけれど)

なのに、ちょくちょく三日月、鶴丸、加州の3振が
1部でも2部でも中央に来るのはなぜなの?
たとえば中央で太鼓を叩く刃選が三日月、加州、蜂須賀なら2016年からの初期メンバーの意味で納得するんだ。メタで映え的に。
三日月、鶴丸、山姥切なら勿論物語的に納得する。
どうして三日月、鶴丸、加州だったのか。
それに太鼓の時なんで加州は連れて行かれてたの? 現地で見てたら印象違うのかな。

ソロも三日月とまんばちゃんなら納得と思ったら回替わりだそうで。
みんなの出番があること自体は嬉しいことだけれど
今回の物語の中心人物って三日月、山姥切、鶴丸じゃなかったの?
本編でも三日月、鶴丸、加州が中央に立っていたりするのは何故なの?

結局加州はどういう立ち位置なんだ。メタでじゃなくて
物語の中でその位置にいるべき役割がちゃんとある?

 

加州に関する疑問

加州が”成長”するタイミングはあるのか

他の新選組刀は修行へ行ったのに加州だけ修行へ行けていない。
しかも、当時元主と向き合うというパターンが繰り返されていた中で
加州は沖田総司と同じ場所にいたのに傍観者だった。
安定は自分が池田屋で選ばれなかったと言うけれど、その場にいたのに守れなかったのだって辛いし
ここで沖田さんが殺されていたらまだ分かるんだけどだたの熱射病で
ここから名を挙げていく訳でその過程に居たのは安定の方でしょう。
寧ろ加州が安定を羨ましく思うほうが普通じゃないかと思うけれど
安定は新選組に入隊し。再演では多少加州の思いも吐露されたけれどメインで沖田さんと絡むのは安定。
ならミュ本丸の加州はいつどこへ何をきかっけに修行へ行かせるつもりなんだろう。
元主の死より苦しいこと。
ゲームでは新選組刀はみんな新選組に修行へ行っているけれど。
沖田さんをまた出すのも流石に食傷気味だと思うし。

 

昔の本丸の話を知らない加州

加州は「待つの限界」と桜の前で歌っているし
誰の木なのか知っているのかなと思った。でも歌仙に思い入れがある?
単に初期刀組としての情?

「今は訊かない方が良い」怠慢だと言われても
「そうかもしんないけど、俺」と思っていた加州が
割とすぐ考えを変えてまんばちゃんに訊きに来るのはなぜか。
戻ってきたら教えてやると言われて嬉しそうにしていたのに
その後の歌詞で「知るべきか、知らざるべきか」と歌っている。

全く無関係のことだったら、なにかあるんだろうなと気にはなっても
訊いちゃいけないとか知っちゃいけないかもとか
そこまで思い悩むものだろうか。

刀本体の話として、実戦に使われていた加州って結構な経験がある方だと思うんだけど、
殴られて吹っ飛んだ時まんばちゃんから「怯んでいる暇はない、隙を見せるな」と言われてみたり
大包平を守ったのに「考え無しに突っ込むなとどれだけ」と言われたり拳骨されたりする。
子供扱いだよなぁ。実際若い刀なのはそうなんだけど。それだけの理由?
何か心配される理由があるのかな。危なっかしいと思われるような出来事とか。

大包平に傷口をぎゅーしてきた鶴丸だけれど、加州のことは冷やかすだけ。
鶴丸はよく加州に稽古をつけていた。約束があった。
加州が検非違使にやられた時も茫然自失といった感じで、その後ガチギレしてたように見えた。
鶴丸は加州をすごく可愛がっているように見えるんだけれど…。なんで?
単にたまたま今回加州が対象だっただけで、自分の後輩たちにはみんなそんな感じなんだろうか。

加州が初期刀か初鍛刀で折れた過去があったなら
お守りのひとつも持たせるだろうし古参のはずなのに昔の話を聞かせてもらっていないのも納得するんだけど、それは違いそう。

「石切丸に怒られたからね、考え無しに突っ込むなって」
これってあつかしとは別口の話? いつ何故言われた?
石切丸にも山姥切にも何度も言われるほど突っ込んで
それで多少自分でも反省するほどに、無茶をしたことがある…?

 

伏線は”次に繋がる”のか

王道

バクマン。で王道か邪道かなんて話があったけど。
自分は邪道な王道が好き。

人が死んだりいなくなったり命を賭さなければならないほどのピンチに立ち向かったりというのはそれだけでドラマチックなことだし泣けるに決まっている。
王道なんだけど。

「安易なやり方に逃げるな」とは創作界隈ではよく言われること。死なせるなら相当の理由がいる。そうするしかないところまでもっていけないなら死なせちゃ駄目。
そして殺すならそのキャラはもちろんそれを見て傷つく人たちがいることを覚悟しないといけない。
たとえばみんな大好きやすこにゃんだとキャラのことを考えて覚悟しまくっているからこそ「この人は生かしておいた方が地獄だから生かした」みたいな選択が出てくる訳でしょう。
あの人の映画刀剣乱舞の脚本は完璧に、刀剣男士でなきゃいけなかった。
刀剣男士だからこそ成立した話になってたから最高に好きなんだ。

今回は王道の話らしい。
王道ってわかりやすい。でも、悪く言うと捻りがないことにもなりかねない。
史実上の戦地が舞台なら絶対人は死ぬ。悲しいに決まってる。
お話上、ヒリヒリする感じが、折れるとか死ぬ周りでしか発生してなかったと思ったんだ。
強いて言えば加州や水心子が思い悩んでいたところくらい。
それもヒリヒリまではいかないし。

脚本の方が変わっていなくても同じだったかもしれないけれど、
少なくとも自分にはかのゆきと今回のまんばちゃんが整合性が取れていないように見える。
今までそれこそ脚本家が蒔いてきた種、審神者的には芽吹いていると思っているものたち
ちゃんと全部これ、次に繋がる?
今のところ伏線だと思ってたものが回収されなくてモヤモヤしかしてないんだ。

 

どうなったら繋がったと思えるだろうか

次回作がアンサーパートになるとか

ここからでも自分が納得いく展開になるとすれば、
次回作にも続けて加州と蜂須賀が出る、かな。
みほとせ→あおさく みたいな補完する物語になる。
ただそれにしてもじゃあ一蓮は前フリの為だけに呼ばれたんですか感は残っちゃうんだけど。
それでもこのまま なんだったの? で終わって全然別の次に行かれるよりは
よっぽど納得はする。
蜂須賀は本当は加州より先に来ていて歌仙とも話したことがあって、とか
加州は折れたことがあってもう折れてほしくないとか
なにかあって記憶がないとかでだからみんなが可愛がってるとか。
何か筋の通るようなことがあってくれれば。

  

「地方勢力は結局本気を出した朝廷には敵わない」が前フリだったなら

この言葉を加州に言わせたし、ゲームでは孫六兼元も出てきたことだし
いい加減会津関連をメディアミックス先のどこかが扱ってもいいんじゃないのとは思ってる。
と言いつつもし心伝とかでそこまで切り込んだら私はまた悔しさ倍増しちゃうんで、ミュでやってくれないかなぁ。

特命はもうステでやっちゃってるから、異去 会津でどうですか。

陸奥と縁が深いとか、麻璃央くんも流司くんも仙台出身だからとか度々言うのだし
仙台藩なり奥羽列藩同盟なり描いても良くない?
幕末からむすはじの丁度間の話になるし、蜂須賀は徳川と関係もあるから
絡めて話入れ込めない?
初期刀連れ戻して満を持してふたりとも修行行っておいでよ。

って思うけど、多分今回のメンバーの何振かが残るとしても
山姥切、鶴丸、三日月、歌仙、初鍛刀と誰かで
平安末期描写にいきなりいっちゃう方がまだ可能性はありそう。
過去回想じゃなく、歌仙とかはシークレットで
歌仙を迎えに行く戦いみたいなパターンとか。

 

いつになったら報われるのか

もし次の出陣にふたりのどちらもいなかったら
ふたりが成長するのはいつ見られるんだろう。
何年後? というより、本当にそんな日くるの?っていう気持ちになってしまうと思う。
だって7年は長いよ。
最初の1年目の公演にしか出てないんだよ?

今まで新しい情報が出る度に誰が出演するのか、演目は何かに一喜一憂して、
めでたくチケットが取れる度
佐藤流司が演じる加州清光が見られるのはこれが最後かもしれない
って悲壮な決意と覚悟で観に行ってたんだよ。
あれだけ後進に譲ることも考えないとみたいな話を何年も前からしててさ。
他の仕事も忙しくてスケジュールもどんどん合わなくなるだろうしさ。

佐藤流司が演じる加州清光が本丸の物語の上で成長する姿、見られるのかな。

2020年本丸博で公開された模型。桜の木がたくさんある。