ネタバレあり

映画に興味があったが、映像で見るとしんどそうだなと思い、まず小説をと思って手にとった。
映画監督の内田英治氏が自ら小説化したものとのこと。

凪沙の母親の和子が、一果を預かって欲しいと言い出す。
同じ東広島の町では匿いきれないからなのか、噂になるからなのか
東京の凪沙のところまでひとりでやるのも正直大人として愛と責任感が無いと感じる。
凪沙に預ける理由としても、「テレビに出たら困る」という言い草だし
別の描写でも「隣の人が役所に通報しちゃった」と言う言葉が出てくるし、
一果のことを思っているわけでは全く無いのだ。
世間から白い目で見られることだけが嫌なのだ。
狭い田舎に住んでいると陥りがちな思考な気がする。
親戚一同で話し合い、出し合ってなのか養育費を凪沙に振り込むくらいなのだから
それまでも親戚づきあいはあっただろうに、冷たい。
見ず知らずの女の子ではなかろうに。

それは凪沙に対しても思ったし、嫌々でも受け入れたのだから
もうちょっと迎え入れてあげて欲しいと思った。
勿論、凪沙にそうした心の余裕が無いことはわかるのだが。
しかし、それが段々と変わっていく。
一果がそんなにも見てわかるほどの才能に溢れていて、それを目にし、
バレエをやらせてあげたいと思う凪沙。
わかりやすい母親のような愛情の注ぎ方でなくとも
できることはなんでもしてあげたいと思う彼女の思いに胸が苦しくなった。

今の日本で、結局問題として立ちはだかるのは大抵人間関係とお金なのだ。
勤務先のスイートピーの仲間たちがいるとは言え、
親とうまくいっているわけでは無い凪沙は孤独だ。
そんな中で一人、お金を稼ぐ為に風俗を始めようとしたとき、辛かった。
それを止めたのは良かったが、男装して昼職に挑む姿が悲しかった。
女性の姿のままでは決まらなかった仕事が、男装したらあっさり決まった事実も辛い。
凪沙が割り切った人で、都合よくどっちの姿もすればいいや
と思っている人なら良いが、男の名前を備品に書くだけで泣いてしまうくらいなのだ。
凪沙という名前の男性だっているのだし、せめて凪沙と名乗るくらいの
大雑把な度胸が彼女にあれば、もう少し生きやすかったのかもしれない。

本当に、ニューハーフショークラブに来る客はこんな人たちが多いのだろうか。
小説にするにあたって誇張しているのだと思いたい。

一果がりんと出会い、凪沙とも馴染んだことで事態が良い方へ進むかに見えたが
彼女の運命の歯車も中々うまくは回っていかない。
りんと実花との出会いはかなりの強運だし、ふたりがそんなに一果に良くしてくれる理由が
あまり無いのではと思うほどだが
かき消すほどの暗い流れに押し流されていく過程が辛かった。

自分が幸せで、その自覚の無い人ほど
家族なんだから話せばわかると無責任に無遠慮に言ってくるものだ。
本当に、放っておいて欲しい。赤の他人より自分の方が母のことは知ってる
という言葉、そのとおりだと思う。

凪沙が、女性になりたいだけでなくお母さんになりたかったのなら
自分の力ではどうしようもないし、養子縁組ならまだしも産むことはできないから
どうしたら凪沙が幸せになれるのか、読んでいて辛くて仕方なかった。

自分が友達から借りた漫画を勝手に親に捨てられた経験があって
嫌だっただろうに、思わず一果の漫画を破いたりするのが、
染み付いたものを感じて気持ちが沈む。
気がつくと大嫌いな親と同じことをしていて、自分の中に流れる血のことを思う。

りんがコンクールの日に電話をくれてほっとしたのも束の間、
りんは飛び降りてしまい、一果は緊張で踊れず
しかも母親の早織にそのまま拉致られてしまう。
舞台上に乗り込んでくる母親。
コンクール会場も騒然となり、他の出場者の子たちも動揺してめちゃくちゃになっただろう。
子供や動物など虐待されている対象を善意の第三者が保護したいのに、
親とか飼い主という肩書は強くて、法的に助けることができない現実を
自分も度々目にするので、吐き気がするほどきつかった。

早織が一果を愛していることは本当なのだろう。
しかし、その愛し方で一果は幸せになれないのに。

一果は常識がなくて口も悪い子だったけれど
少しずつ凪沙やりん、実花に気持ちを開いてくれていたし
コンクールにママたちが応援に来るのを嫌がることもなくて
素直に真っ直ぐに育っていたらさぞかしもっと早くに綺麗に花開いただろうか
と思ってしまう。

早織のやることが直情型でめちゃくちゃなだけで、コンクールを見にはきてくれたのか
と思ったら、ただ一果を連れ戻すためだけで、彼女の演技は全く見てくれていなくて
自分の勘違いだけで娘が本当に大事にしているものを取り上げる。
親という肩書があるだけで、どうしてこうもひとりの人間の尊厳を踏みにじってくるのだろう。

一果のおかげで一緒に夢を見ることを許されている、と言っていた凪沙なのに
一果を取り上げられ、良い人だった同僚の純也も異動になり、ひとりぼっちだ。
ここで膝をついてしまってもおかしくなかったのに、お金をためて手術を受けて
女性として、自分が母親になってあげたいと思って一果を迎えに行く凪沙。
会いたくない親、足を踏み入れたくない田舎町、それでも一果を迎えに行くのなら行動できた。
事前に根回しをするとか誰かに付き添いを頼むとか、そうしたことをする余裕もないいほどの勢い。
この行動を取ることで、一果以外の全てを失う可能性が高いことも、
頭ではきっと分かっていただろう。

一果が凪沙を選んでくれたら、早織は兎も角凪沙と一果の人生は
ひょっとしたら日向に出ることができたかもしれない。

追いかけてくれなかったことが悲しかったが、本当は追いかけようとして
早織に止められてしまったと知り、嬉しい気持ちと悲しい気持ちがないまぜになった。
早織が一果を縛っても、誰も、早織自身も幸せにはなれないのに。

実花が広島まで自腹で通ってレッスンをしていたことに驚いた。
それ以上に、凪沙がなけなしのお金を実花に渡そうとしていた事実を知り
涙が止まらなかった。

もしこうなっていなかったら、もしこうだったら
という思いは尽きず、歯痒いことばかりだが、
瑞貴がどん底から自力で這い上がったことは素直に嬉しく、恰好良い。
だからこそ眩しく感じて凪沙が会いづらく感じるという気持ちも、わかってしまう。

一果が、子供という立場ですぐに行動を起こせなかったとしても
早織とそれなりに折り合いをつけ、凪沙を探してくれて、
諦めないでくれて良かった。
最後に凪沙が一果と再会した後、凪沙の念願の海辺で
白鳥を見る光景は、物悲しくもこの上なく美しかった。