ネタバレあり

驍宗は泰麒を他の皆のように「真逆だ」とは
思ってないということに、2人の関係性を感じられる。
自分が閉じ込められ酷い目に遭っているというのに、
助けてやれずすまない と思っているのが凄まじい。
それが、王というものなのだろうか。
気の遠くなりそうな年月がかかったとは言え
自力で脱出するあたりに驍宗の意志の強さを感じる。

軍は統率が大事だから、助けに行きたくても
自分の我儘で乱すことはできない。

軍には道義も品格もそれを堅持してきた誇りもある
という言葉が泣けた。
だからこそ今の阿選サイドについている面々は苦しい。
この先まとめていくのも大変だ。

結局李斎が助けに来た時、朽浅が「莫迦か、あの女は!」と言う言葉にこもった感情を類推して
涙腺が緩んだ。
「安易に安福を出てすまない」
「むしろ助かった。残った者がいたや助けに行かないといけなかった」
というその後の2人の会話も良い。
それぞれがそれぞれのチームのリーダーポジションだからこそ出てくる事務的でありながら
互いを思う心もある台詞だ。

土匪には恨みがあるが全てに非がある訳では無い。
これはこの世界に限ったことではなく真実だ。
それが見えているかどうかは、実は当たり前ではない。

霜元の麾下も李斎の麾下も皆が驍宗を助けようとし
再会を喜ぶ姿に涙が出た。

友尚の言葉を聞いて、主上を信じられないのきついよなと思う。
自分の主人がいなくなったけれど見つかったという時に、
自分ならそんなに喜べるかなと。
迷った末に探すけれど見つけても喜びきれないと考えるところが
悲しいが、しかし阿選という主はそういう主だったのだ。
王師の士官たちが「主上はいかがしておられる」と尋ね、
「主上の御武運を祈念申し上げる」
と伝えるところには痺れた。
人という割り切れない曖昧な生き物、軍人だからと律している中で
最大限に出せるだけの仁義の心だ。
阿選の謀反に一番驚いたのは麾下だったのかもしれない、
しかし忠義から従った。
そして辿り着いたのがここだったのだ。

友尚が
「おれたちは土匪に負けた。戻って張運のようなやつらに叱責されるのはごめんだ。ここで解散する。
愚かでも土匪を救うため自らの存在が露見することを選んだ霜元たちの陣営のように行動したかった」
と話すところも、踏みにじられそれでも捨てきれない忠義の心に涙したし、
部下たちもずっと本当に嫌だったという吐露が辛い。

今度こそ、本当に取り戻そうと李斎が思うところに、本当にそのとおりだと目頭が熱くなった。


静之はずっと好きな人物だが、今巻での
「それでもいいんだ、俺たちは。
俺たちには目的があり、目的さえ完遂されるなら
戦場にいる兵卒が全員死んでも勝利なんだ。
軍の理屈というのはそういうもんさ」
という台詞も良かった。軍人というのはそういうものなのだ。
数として扱われるし、それは可哀想というレベルの話ではないのだ。
それを覚悟していて、そうしてでも目的を完遂する為に在る。

飛燕に関しては、泰麒との会話の回想などが書かれていて
フラグはたってはいたものの、辛かった。
ここまで見事に瓦解するか、と唖然とする李斎の言葉も辛い。
上手く行っても行かなくても、私は阿選の敵になる。
重い言葉だった。

李斎が、煽動されて驍宗様に石を投げる者が出た場合
民にとってもこの上ない不幸、
自らの手で正当な王を打ち殺したと知ることになると
民のことをも心配しているところに、信頼のできる驍宗の麾下だなと改めて感じた。

霜元が「驍宗様は武人だ。戦えず罪人として打ち殺されるのは恥だ」
と言うところも切なかった。
個人的に幕末の東軍サイドの史実を思い出し哀しかった。

泓宏が「自分の中の節を曲げないことは、無駄じゃない
李斎様が行くなら行くんですよ、当たり前でしょう」
と言うところも恰好良かった。

夕麗が李斎に
「女だから同輩の前では泣くことも怒ることも許されない
ここで残って女だから哀れまれて残されたとは言われたくない」
と話すが、女同士ならではの会話だった。
ここまでに、女だから悔しい思いをしてきたこともお互いあっただろう。

「俺は行く」
「友尚様が行くんだったら行きますよ」
「俺が行かない、と言ったら?」
「だったらここでお別れです。私は行きます」
という友尚と弦雄の会話も良かった。
士真がついていきたいが怪我をしていていけない悔しさと、
そんな彼にかける言葉
「あとを頼む。必ずいつか阿選は倒さねばならない。
その時に働いて、追いかけてこい。
お前がくる時には必ず阿選様をお連れするように」
という言葉も、色々な思いが詰まっていて圧倒される。

「犬死はしない。結果としてそうなることと、最初からそこに堕することは別だ」
こういう言葉が出てくる李斎が本当に恰好良い。

麒麟が剣を持つ。
十二国記をここまで読んできた読者達にとって、本当に異例のことだ。
これまでも泰麒が他の麒麟とは違うことは描かれてきたが、
自分の手で、自分の意志で、武器を持ち人を殺傷する。
戦場から帰ってきた人の臭いだけで弱ってしまう生き物がだ。
泰麒が無言で李斎と刑台で見つめ合うシーン、
驍宗とやっと再会し、「大きくなったな」と声をかけられるシーン、
どちらも一瞬の邂逅だが言葉にならない思いが溢れた。

この混乱の中でアピールにはやっぱり麒麟になるしかないとは思っていたが
癒えているのかがずっと気になっていた。
麒麟になり、王を乗せるその姿、簡単に想像ができた。あまりにも美しかった。
どんどん守る列が増えていくのがありがたい。
外に出て見通せる限り墨師の幡があったこと、
それが虚仮威しでも、心強い。

延王と泰麒が再会し、
延王が「よくやった李斎。無事で良かった」
「引き受けた。諸国が支援する。─存分にやれ」
と言ったとき、ようやくこれで先が開けるとほっとした。

泰麒が「李斎、怒っていますか?」と言うところが
少し昔の幼い麒麟を思い出し、2人の関係性を思った。
「私たちには、罪に踏み込んででも戴を助けてくださる方が必要でした」
泰麒が払った犠牲は大きく、将来に渡って不調が残りそうというのが心配だが、それでも目的を達したことを今は喜びたいと思う。

戦いにおいては多くの犠牲は目に見えない場所で起こる。
いつどうやって死んだのかわからない。伝聞でも確認できるだけマシ
というのは、本当に辛いことだが真実だろう。
去思が「項梁はずっとこういうことを経験してきたんですね」
と言うのが、少ない言葉ながら多くを物語っている。
対して「生き残った者の数を数えるんだ、こういうときは」
と言う項梁。そうして生きてきたし、そうやって前を向くしか無いのだ。
いなくなってしまった人たちの為にも。

解説に、
逆境に負けず忠義を貫くか、変節して浮かぶ瀬を選ぶかで悩む
日本人の美学が凝縮された忠臣蔵に近いものが有る
とあったが、忠臣蔵に限らず確かに昔の日本人にあったものが
ここには凝縮されていたし、だからこそ惹かれるのだと思う。