とてもリアリティがあり、
悲しいしやるせないけれどどこか光も感じる。

お義母さんがあまり好きではないというか
けして嫌いではなく恐らく良い人なのに
ちょっともやっとするところがある。

そういった日常にありふれたことが、奥さんの闘病生活を支える中でもそこかしこに在る。
会社の人が奥さんの余命を訊いてくるのも可笑しいし
忌引きじゃなくて死ぬ前に休みが欲しいというのも
本当は当たり前の感情だと思う。
余命という物語を使わず納得してもらいたい
という表現の仕方に共感する。

主人公に対しても、「して『あげる』」という言い方を
しなくても良いのになと思った。

小林農園の人は良い人で、本人の前では泣かなかったのだろう。
しかし泣くのを我慢して看病してる人の前でお前が泣くのかよという気もするというのも
それはそうだろうなと思ってしまった。

痛くても並行して幸せだと思うこともあるというのも
分かる気がした。
うつる病気ではないのに治療に専念して表舞台には出るなというのはおかしい。
元気がないまま人に会ってもいいんじゃないか。
そういう考え方と、それを言葉にしているところが
素敵だなと思う。

考え方が合わない、相手が思い込みで話している
というようなことを
ストーリーが始まるという表現の仕方をしているのが
悪気のなさ、通じ合わなさなども感じられて
興味深い。

黄色一色にして欲しいと言ったのに
いろんな色で飾られた葬儀場。

「死ぬならがんが良い」
自分には到底言えそうにない言葉ではあるが
亡くなった奥さんも看取った旦那さんも
精一杯日々を過ごせたことだけは間違いないと思えた。