著者 : 吉田修一
中央公論新社
発売日 : 2014-01-24
怒り。
やるせない気持ちと言い換えても良いのかもしれない。
自分ではどうすることもできないこと。人を信じられない弱さ。
世間に溢れている『事件』と、傍観者でしかない自分。
ある日突然関係者に立たされ当惑する自分。

山神の意図が分からないままでなんとも煮え切らないが
それもまたリアルであるとも思うし、はっきりしたところで
また別の怒りが湧き上がってくるだけなのではとも思う。

映画よりも小説の方が、警察サイドの描写があることもあって
山神の正体が3人の内誰なのか早く読み取れる印象。
事を起こす前に捕まえるべきと示唆されるものの
まさか事を起こされる側に回るとは。

映画でも、自分が一番感情移入しやすいのは優馬だ。
直人を信じきれず、警察からの電話で動揺し、
探したいと思っても待つしかできず。
喫茶店で妹を見つけて慌てて駆け寄る。
彼の『弱さ』を、自分は笑えない。

愛子が通報した時、映画を見ていて本当に驚いた。
小説はヤクザが押しかけてくる様子などその後のことも書かれており
警察にとっては空振りでしかなかった通報だが
愛子の決死の通報により幸せに見えた日常が終わってしまう。
田代を信じきれなかった愛子が悪い、とは、とても言えまい。
愛子は自分や父を責めるだろうが、訊いても答えてくれない中で
疑心暗鬼になるのは当然だと思う。

ある意味で、優馬も愛子たちも山神の一件の被害者なのだが
法律上は当然そうは取られない。
あの事件が無ければ不幸にならなかったはずの人たちの運命が捻じ曲げられる。
現実でもこういった目に見えない被害者はたくさんいる。

しかしながら希望が見えるのが田代と愛子たちで
村の人たちも協力してくれ、解決できそうな光がある。
父親の迎えを待っていた愛子が、田代に有無を言わせず
銀の鈴で待っていてと言ってひとりで必死に東京まで迎えに行き、
切符を買って戻る姿が力強く、守られているだけの愛子ではなくなった。
金銭問題さえ解決すれば、愛子と田代はうまくやっていけるのではないかと思える。

優馬が一緒の墓に入ると言っていた約束とも言えない直人との約束を
せめて実現させるところには泣いた。
直人が自分の生を諦めていなくて、妹に言っていたような優馬への気持ちを
本人に伝えていたなら違った未来があったかもしれないが
こんな二人だからこその淡く美しい日々があったのだとも思うのだ。

一番救いが見えないのが泉たちで、辰哉が取り調べ中、
泉が告白したと聞いた時だけ泣いたこと、
自分のことは忘れてくれと手紙を寄越したことがあまりにも悲しい。
「信じていたから許せなかった」。
知らない人にはなんのことが分からないとしても、辰哉の動機説明としては
十分な言葉である。
だからと言って包丁まで持ち出すのは一足飛びに過ぎる気はしなくもないが
泉のことが好きだったこと、責任を感じてきたこと、
田中が人がいないときは客の荷物を乱雑に扱っていたこと、
そして父のこと。
色々なことが積もりに積もり、遂に決壊してしまった。
自分が酔っ払わなければ。田中に懐かなければ。落書きをみなければ。
辰哉は自分自身にも怒っているかもしれない。
だがそれらの『ミス』はここまでの重い十字架を一人で背負い込まなければ
ならないほどのものだろうか。
あまりにも救いが無いと思ってしまう。

こうして我々読者が抱く怒りもまた、表題につながっているのだろう。