著者 : 米澤穂信
東京創元社
発売日 : 2015-07-29
タイトルと装丁に惹かれて手にとった。
お話自体は暗めだし、
はっきりした起承転結を求める人には
向かないのかもしれない。
ネットレビューが思ったより低いものが多くて驚いたが
自分にとっては
読み終えて溜息が出るような素晴らしい小説だった。
本を閉じた時、タイトルを見て意味がわかる
はっとさせられる付け方は大変好みである。

以降ネタバレ。
2001年6月の「ネパール王族殺害事件」が起きた時
たまたまフリージャーナリストの大刀洗万智がネパールにいて
取材し記事を書くというのが主なストーリーだ。
それだけ、と言ってしまえばそれだけだ。

しかし万智は新聞社を辞めたばかりで、
記者として記事を書くこと、報道とは、という点に
割り切れない思いを抱えている。
答えというほどの答えではないけれど、
足掻き、悩み、記事を書き終えて
フリーとしての初仕事をやり遂げ、日本へ戻る。
微かな爽快感や迷いが綯い交ぜになった気持ちで
飛行機のシーンを読んだ。

サガルのキャラは登場から惹かれたし、
ククリを持ってくるところの地頭とセンスの良さに
万智が羨ましくなるほどだった。

絨毯工場がどんなにひどいところか
外国のテレビが世界に流したおかげで仕事がなくなった
というのを聞いて、たしかにそういうことはあるし
そう仕向けた人たちは良いことをしたつもりで
そのせいで何が起きたかまでは目を向けないだろう
と思う。

ラジェスワル准将が取材に対して、
軍の恥、ネパールの恥、なぜそれを世界に向けて知らせなければならないのだ
と言ったところは、素直に恰好良いと思った。
全くそのとおりである。
日本で報道されることでネパールの役に立つのか。
恐らく、何も立たない。あって一時的な支援だろう。

信念を持つこととそれが正しいことの間には関係が無い、
記者を責めたいのではなく
その後ろにいる刺激的な最新情報を待っている人々の
望みを叶えたくないだけだ
という言葉がずっしりと響いた。

八津田の姿を見て
カトマンズで日本人が袈裟の着こなしを変えて弔慰を表していることに
感慨を覚える万智だったが、まさかそういう伏線とは。

自分に降りかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ。意表を衝くようなものであれば、なお申し分ない。
どんな悲しい事件でも、
考えさせられた、という娯楽として消費される。

サガルが
こっちが訊きたい。どうして憎まれていないと思ったんだ?
と尋ねた時、泣きたくなった。
それとは違う感情で、最後に万智が
もしわたしに記者として誇れることがあるとすれば、それは何かを報じたことではなく、この写真を報じなかったこと
と言っているところも泣けた。

私は自覚なく、他者をサーカスとして消費していないだろうか。
そう「考えさせられた」と思うこと自体が
娯楽として消費しているのではないか。
痛い指摘であると思う。