もう十分だと、うみ子さんには思って欲しくない。
ソラの取捨選択がうまくて、わかっているところが苦手という、海くんの表現が興味深かった。

疲労で倒れる初老の女性だと種明かしをしてしまったような後ろめたさ。
考えたくなくても年齢ばかりはどうしようもない。

家事も事務処理もやり始めたらいつの間にか終わる
制作と違って終わりが明確だから。
これは多分自分でなにかを作る人はみんな共感するのではないだろうか。

海くんが主人公の映画を撮るのは正直私だと思っていた
という悔しい気持ち。
美しくて強い力に私の映画を盗られた。
これも共感し過ぎて苦しくなった。

愚痴を言うにしても説明することが多過ぎるから言えない気持ちもよくわかる。
前提が共有しづらいから頑張ってるとしか言えないけど
娘さんもクリエイターだから比較的悩みは共有しやすそう。
誰に何を伝えたいのか。実はすごくこの根本的なところが難しい。

自分がすごく面白いと思ったものを、退屈だと言う人がいて。
「感度高くしてる人に響く」映画だという海くんの評価も面白い。
確かに自分が知らない役者でそこで興味を持てない人は
説明がないと『難しい』と言いそうだ。
観る人を選ぶかもしれないが、
「だからといってその映画は貧相ではなくて豊か」
という言い方も素敵。
面白さが伝わることや共感より『リビドー』というのはなんだか納得する。
自分が面白いと思うもの、それ自体がその人の個性は
成る程と思った。
たくさんの人が面白いと思う=人生で避けられない、
だから暴力や恋愛、食べ物系が人気になる。
経験に基づいた触手をコントロールできる、
つまり傷を俯瞰できる。
その話を聞いてウミ子さんが、自分の映画を
「撮らなきゃいけない映画だった」
「次は海くんを撮るわ」
と言ったところも本当に素晴らしい。
「あなたを観ていると波の音がする」という言葉、
海くんにはどんな風に響いたのだろう。
嬉しそうな笑顔が印象的だった。