有川先生の一人称のポストで思ったのだけれど、
そもそも時代や方言で女性が俺はわしということは普通だし、
人がどんな一人称を使っていても気にならないと思うのだけれど
嫌だという人は何が嫌なんだろう。
自分の近くでも女性だけれど俺という人がいるが、初対面の時に
この人はそういう一人称なんだと思っただけだ。
別に付き合い上何も困ることはない。

前にネットの書き込みで、
自分のことを俺と言う女うざいとかキモいとか見たことは確かにあるが、
そういう印象があるだけで、実際ウザがらみをされたり気持ち悪い行為が発生することは
皆無ではなかろうか。

自分の場合、別にウザがらみ対策というわけではないけれどあまり「私」は使いたくない。
ので、「自分」と言うことが多いと思う。
ただなんとなくしっくりこないというだけのことだけれど。
はるかぜちゃんもよく僕を使っていたけれどあの感覚に近い。

よく女性用としてデザインされた服がピンクなどの色で
本来女性が欲しているものと違うというポストも見かけるし本当に共感する。
別にピンク色が好きな女性もいるし、それぞれの好みなので選択肢が欲しいというだけの話ではあるのだが。
ピンクという色に関連する自分のエピソードだと、
自分のことをあまりよく知らない人が私にプレゼントしてくれたり
似合うと勧めてくれたりするものはなぜかピンク色なことが多い。
しかもリボンや花柄、レース付きなどの自分が最も好まないものを
「sayちゃんぽい」と言われる。
まただなーとは思うが正直不思議ではない。
というのも、見た目と中身がだいぶ違うらしいので。
初めは自覚していなかったけれど、ここまで言われ続けると流石に慣れてきた。
「大人しそうだったのに猫をかぶっていたな」と言われるのはしょっちゅうだった。
別に猫をかぶっているつもりは全くなくて、
見た目が小さくて大人しそうで初対面から自分の中身を開陳せず人の話をよく聞いているだけで、
自分が猫をかぶっているのではなくそちらが勝手に大人しい猫の幻想を見ていたのではと思うのだが。
それで多分見た目のイメージだけで選ぶといわゆる女の子らしいものになるのだと思う。

因みにこの質は完全に母譲りで、母親も小さくて可愛くて儚い見た目だけど
中身は男前だった。

演劇をやっていたとかバンドをやっていたとか、バイクが好きだ必ず意外だと言われるし、
ひどい時は「イメージと違うからやめてほしい」と言われることもあった。
だからこそ、SNSなどで出会う友達の方が気が楽である。
見た目がなくて最初から中身しかないから、猫をかぶっていたと言われる心配はない。

リアルで会った友達何人かに、男の人かも思っていたと言われたことがある。
所謂「女臭い」ことが苦手で、そういうそういう女だと思われることが嫌な自分にとっては
褒め言葉に感じたものだ。

別に性自認は普通に女だけれど、女の”甘さ”を忌避しているだけ。
要は自分の力ではなにもやらないし、なにかあっても泣けば許してもらえる
と思っている人間 だとは思われたくないだけ。
そして女だから下に見てもいいとも思われたくないだけ。