憲ちゃんらしいと言えばそれまでだけれど
ストーカーに会いに行くのは流石に危険過ぎる。
楽くんが心配するとき、「信用はしてます」と言うのがいい。
先生や家族も心配してくれるのが微笑ましいが
それで一日無駄になるのはいただけないし、
ふたりも自分の家族には説明してから京都へ行ったほうが良かったとは思う。

漫画だから仕方ないけれど
上野さんも七条の母親も、本人が亡くなっているのを言わずに
会いますかとか案内するとかいう言い方をするのが気になった。
息子を亡くして、葉月が生き生きとしている姿を見て
複雑な気持ちになるところまではわかるが
だからといって息子と同じようにストーカー行為を始めるのは
全く理解が出来なかった。
お墓に来てほしいなら謝罪をしつつお知らせという形ですれば
この二人なら普通にお墓参りに来てくれただろうに。
許してあげることができる葉月さんがすごいし、
その後も二人の間で普通に七条の名前を出して会話になるところも
自分にはできないなと思った。
すごいと思うものと良いと思うものが必ずしも同じとは限らない。
すごいけれどもう一度見たいとは思わないし
自分はああいう風に舞いたいとも思わないということは実際あると思う。
憲ちゃんが実際どっちなのかわからないが、
強がりで大したことないと思っているとしたらそれだけ凄かったということだし
それを認めることができるのはすごいのではないかと思った。
すごい人や物を見て自分も頑張ろうと思う時と落ち込んでしまう時
確かにその差はなんなのだろう。
やはり自分のメンタルの問題だろうか。
やる気まんまの時の自分が組んだ予定で忙殺される感じも非常によくわかる。
準備ばかりで一つも形にならない時は本当に焦ってしまう。
自分がどこにいるのかわからないと言うか。

弓の弦が引っかかるので兜の吹き返しの右側を打ち落としたというエピソード、とても興味深い。
恋重荷の天秤棒の話、朸と会う期をかけて、棒がないから
当時のお客である貴族には会う気はないと分かったが
そんな教養のない老人には通じなかったという説、自分は好きだなと思った。
前に葉月さんも言っていたけれど、普通に断っただけという方が腑に落ちる。