隆生先生が写真やレコードを探してくれたり
憲ちゃんに見せる為にももう一度舞おうとされたり
というところが感じ入るし
伝統芸能の生々しさであるとも感じる。
そうやって目の前で見せることでしか
伝わらないこともある。

葉月さんが「一番したかったことを忘れるために
ピアノを始めたのかも」というのはぐっときた。
『かげきしょうじょ!!』でも主人公がそうだったが
そういう家に生まれて舞台に憧れて
でも伝統芸能で男性だけのものだから自分は立てない
というのは辛いところだ。
だからと言って女性も立たせろ、という問題ではないし。
葉月のピアノが好きと言ってくれる憲ちゃんや先生たちがありがたいし
『楽しい時間と同じように傷は隣の人を近くする』
という表現が美しい。

安宅の関を越える、というのが本当に文字通り
一同で越えるというのに感じ入った。

確かに興味がないと舞台に立つと言っても
趣味だと思うかもしれないし、
能と狂言と歌舞伎の区別がつかないという人もいそうだ。
だから彩紀の言う通り、ドラマの功績は本当に大きいとは思う。
ただ当の本人は「私には杖すらない」と思い悩む真っ最中。
自覚した途端今まで気にならなかったことも
気になってしまう気持ちはよく分かる。

望さんとの出会い、丁寧に描かれているからこそ
ご都合主義に感じず、憲人が”持っている”なと思える。
マッサージ師だからこそ自然に「また来ます」が成り立つし。
家族ではなく能関係の人でもなく、でも同じ役者である琳さんは
悩みを話すのに丁度よい距離感の友人だったのだろうなと思う。

憲ちゃんの蝉丸を力強く思えたという葉月さんの感想がとても良い。
演じる人や考え方(演出)で変わるから芝居は面白いのだ。
その意味でテレビドラマだって同じなのに、
同僚から「TV組」なんて揶揄されるのは悔しいものがある。

漫画だからと言ってしまえばそれまでだが
憲ちゃんといい周りの人といい行動力があって展開が早い。
HPに載せたら?とか紹介して?とか、実際にちゃんと現実にしていくところが良い。
現実だとなかなか周りが気乗りしてこなくて
空回りすることが多い気がする。

忙しくて後回しにしたいことでも
焦りつつもきちんと投げ出さないところが素敵だし
それをきちんと身にできるところが素晴らしい。