目次

お気持ち表明

大千秋楽を配信で見ました。

【Go Toイベント対象】【11/25 18:00 大千秋楽】ライブ配信 ミュージカル『刀剣乱舞』 ~静かの海のパライソ~ ディレイ配信付き
【11/25 18:00 大千秋楽】ライブ配信 ミュージカル『刀剣乱舞』 ~静かの海のパライソ~ ディレイ配信付き

 

鶴さん推しの友と観劇に行くつもりで、手分けしてチケ戦に参加し
唯一私がもぎ取った2020年5月のチケット、1階前方通路席。
あれが紙切れになってから1年と8ヶ月。
我々審神者からしても、本当に長い公演となりました。
遂に大千秋楽を迎えられて本当に嬉しいし、心からのお疲れ様とおめでとうとありがとうを
演者スタッフ関係者及び審神者のみなさんにも贈りたいです。

 

ネタバレ無し感想

佐藤流司さんが一番好きと評価されていたパライソ。
インフェルノという評判は散々周りから聞いていましたけれど
本当にそのとおり地獄でありました。
でも物語としては確かに一二を争う好きな感じでしたね。
重荷を背負っていることを悟らせないように振る舞うキャラ
というのは昔から大好物ですし、歴史を容赦なく描く感じが良かった。

史実の取り入れ方も巧妙でしたし、
戦いのどちらか一方に肩入れするのではなく
どちらの見え方も取り入れられていました。
そして、歴史を変えてはなぜいけないのか、刀剣男士という存在とは、
に一定の答えを与えてくれる内容だったようにも感じました。

また、これはミュステどちらも込みなのですが
自分としては、その編成である必要性が無いのでは…と思ってしまう編成が
時々ありました。大人の事情故の編成なのかなと思ってしまうような。
しかしながらこのパライソの編成は、この6振である意味があったと思います。
説得力がすごかったです。

あとは歌がとても良かった。
どの歌も重く恰好良いし、歌唱力も安定していて
ミュージカルならではの伝える力をひしひしと感じました。
トライアルを思い起こすと、随分と大きくなったといいますか
本当にどこへ出しても恥ずかしくない日本のミュージカルになったよなと
なんか上から目線みたいになっちゃいますが
ミュージカルみが強くなりました。

パライソを踏まえて心覚も見直したくなりましたね。

 

ネタバレあり感想

M1『おろろん子守唄』 

穏やかな子守唄が突如暗転。
大勢での歌から始まるのが、いかにもミュージカル
という感じでぞくぞくします。
TLでふんわり感想を見ていた時、
パライソじゃなくインフェルノってだれうまって思ってたんですけど、
歌詞にはっきりあるんですね。ちょっとびっくりでした。
そんなに直接的に不穏な空気を醸してくるのかと。
勿論史実を知っている以上、辛い展開になることはそれ以前に目に見えている訳ではありますが。

歌詞は
朝の木漏れ日や昼の温かさの中にゼウス様はいらっしゃる。
それなら夜はどこにいるのか。すぐ側にいるだろう、夢の中なら会えるだろう。
という内容が方言で歌われています。

最後まで見てから見返すと、夢で会えるという歌詞の流れる中
少年が楽しそうにじゃれているのがご両親だろうなとか思うときついですねこれ。
これは右衛門作の余生が穏やかなのか
夢の中では”光”になるような
本来あったものを思い返しているということなのか
苦しい思いをずっと引きずっている悪夢なのか。

 

M4『鯨波の声~謡えパライソ』

ここで四郎が人の上を歩き掲げられ地面に降りる振りがありますが、
四郎が歩いて海を渡ったという奇跡を表現しているのかなと思いました。
天草四郎って生誕を予言されていたり海を渡ったり病を治したりと
イエス・キリスト的な奇跡を起こしたとされているんですよね。

 

M5『無常の風』

鶴丸が主の為に舞を踊っています。
それが歌になっているところもまたミュージカルらしく。
軽やかな舞というよりは力強く古めかしい武踊を思わせます。
ただ無常に吹く風に逆らえるなら逆らってみろよ という歌詞を
どういう思いで歌っているんでしょうね。
蜻蛉切と千子村正が旅立った後だということが、鶴丸の台詞からわかります。

次の任務の行き先は島原と聞いた時の鶴丸の表情がぞくりとします。
自分以外にできる者はいない、難しい任務ではない、
そして編成は自分に任せて欲しいと言う鶴丸。
この台詞全てが痛々しいです。

 

松井江と豊前江

二人の会話から、歌合からあまり日がなく、
”大層なお出迎え”の噂を聞いてはいても任務中だった豊前が
戻ってきてやっと会えた様子。

鼻血は「近頃は下を向いた方がいいって言うぜ」「なるほど」
というやり取りが可愛いです。

 

浦島と日向

浦島は蜂須賀虎徹を探しています。
今回は舞台上に登場しないけれど本丸内に他の男士がいるような台詞が
結構あったなという印象です。
M7『亀と梅干し』、自分は壽が先になっちゃいましたが
本来はパライソが先だったんですね。
となると、壽の三兄弟のシーンがまた印象変わってきますね…。

 

反乱を抑えるということ

M8『御霊と共に~謡えパライソ』の迫力がすごいです。

島原の乱の原因については色々思うところがあるのですが
大勢での反乱に対して治安を維持する側は、相当厳しい対応をしないと
維持できないというのは一つ、思うところです。
どちらが正しいと一概に言えるものではないと言いますか。
たとえば安政の大獄は弾圧した側の酷さがクローズアップされることが多い
(教科書のような掻い摘んだものだと特に)と思うんですよね。
自分は幕末を中心に勉強中なんですが、勉強するまでは
安政の大獄は酷い所業という認識でしかなかったんです。
でも実情を調べていくと、こんなことをされては半端な対応では無理だった、
弾圧と言うけれどそうでもしなければ守れなかったと
思うようになってきました。

 

M9 『刀剣乱舞』 ~静かの海のパライソ~

どの公演を見ていても、出陣のシーンと国歌こと刀剣乱舞がかかると
滾ります。恰好良いなぁ。
パライソ用のアレンジも良いです。

 

関ヶ原から37年、夏の陣から22年

戦に出たことがない武士たち。
平和な世が続いた後の戦は、未経験で伝聞でしか戦を聞いたことがない人たちが
戦うことになります。
幕末もそうでしたよね。軍力があった会津や実戦を積んだ新選組に比べて
幕府軍は経験が無かった。惜しむらくは経験者の話を聞く力も無かった。
戦国時代が終わり、島原の乱は久方ぶりの、かつ最大規模の一揆。
そしてこの後の内訌は幕末の鳥羽伏見の戦いとなる訳です。
この事実についても思うことがありますが(後述)
慣れていない者同士の戦いは陰惨になりがちなイメージがあります。

そんな島原の地に辿り着いた一行。道すがらの説明もされていない様子。
鶴丸だからしょうがないねと思わせておいて、という印象。
ここが島原だということがすぐ分かる松井江に、
「君の記憶が頼り」と鶴丸が声をかけるのが引っかかります。

 

時間遡行軍という”悪魔”

時間遡行軍に対して右衛門作が「悪魔め」と言いますが
紛うこと無く悪魔ですよね。見た目といい立ち位置といい宗教上といい
色んな意味で悪魔です。彼らのせいで右衛門作は四郎を失うことになります。
キリスト教における悪魔は神を冒涜し、人を誘惑するサタンのこと。
大天使長であったルシファーが寝返ったもので、ミカエルと敵対するという堕天使なんですよね。
これは勝手な連想でしかないのですが
時間遡行軍も元は刀剣男士が”堕ちた”ものではないかと言われているじゃないですか。
右衛門作視点だけでなく、メタ視点でも”悪魔”かもしれないなと
思ったりしました。

 

”天草四郎”の死

「駄目だ、間に合わねぇ」と豊前が言いますが、
配信のカメラワークではちょっとそこまで囲まれている感が受け取れなかったのと、
鶴丸がゆっくり後から来たように見えてしまって。
鶴さんは時間遡行軍をそこまで必死に止める気はなかったのだろうか
とか思ってしまいました。
そんなことはないとは思うんですが
そう深読みしちゃうような、鶴丸の不穏さといいますか。

鶴さんは右衛門作さんへの態度もこの時点から酷いですよね。
松井くんに顔を確認させる為とは言え、人の髪を掴んで顔をあげさせるなんて。

遺体を前に「連れて行く」と泣き叫ぶ右衛門作に、
「無駄だ。それはもうただの物だからな」と冷たく言い放つ鶴丸。
一見冷たいようではあるけれど、刀剣男士という物であり神である視点ならではの、
そうした感情論は超越したただの事実のようにも思えました。
器に敬意はある訳だし、戦場ということもあるし。
魂が抜けてしまえば確かに物、なんですよね。
ただ、「一応戦闘中」ってのがちょっと引っかかりました。
普通に戦闘中だよ?
これから先に起こる戦いに比べたら大したことない、という心情なんでしょうか。
四郎のロザリオを笑顔で奪う姿が恐ろしく感じます。

 

M10『おろろん子守唄~消えた光』

四郎という光を失い落ち込む右衛門作をよそに、刀剣男士たちは作戦の話をします。
この時点で状況が分かっていたのは鶴丸と松井江だけでした。
右衛門作が島原の乱でどういうポジションとなる男なのかを言い募ろうとする松井くんを
鶴丸が止めます。
そして彼のことは見かけたことがあるという松井くんに、
「天草四郎には? 顔を見たことは?」と尋ねます。
「ない」と答えると、「だよなぁ」と笑う鶴さん。
これは、どういうことなのでしょう。
天草四郎は実は存在しなかった説のことを言っているのでしょうか。
飽く迄象徴であり指揮は別の人がしていた説=前線にいないから松井は見ていない
でも意味は通りますが、それにしては鶴丸の態度が不穏に感じます。
あの少年が右衛門作に四郎と呼ばれていることは事実なので、存在はしているはず。
この派遣先は既にそこから間違った時間軸なのでしょうか?

それと、松井江は右衛門作に対して怒りがあるように見えたことも少し気になりました。
生まれたばかりの松井ですが、かなり人間らしく思えます。

鶴丸は自分と浦島、日向が天草四郎になると言い出す訳で、
死んでしまった人の代わりを刀剣男士がするというのは
三百年や 葵咲本紀、舞台刀剣乱舞でも見られた状況ですよね。
刀剣乱舞という世界自体の設定なのかなと思います。
よくSFにある、失敗したらそれより前の時間に行けばいいのか
それではパラドクスが生じるのか、周回することに問題はないのか
については、刀ミュ本丸ではまだ然程言及されていないですが
この先の展開に重くのしかかってくる可能性を考えると怖いです。

天草四郎は複数人いた説がありますが、鶴丸が浦島と日向にも四郎をやらせることで
この史実上の説を見事に回収しています。

鶴丸はわかった上で四郎を買って出ているので、石切丸の立場に近いものがありますね。
浦島と日向は知らないで引き受けていそうなところが辛いです。
自分たちが、3万7000人の人間を集めるのです。幕府軍に殺させる為に。

「芝居の才能と実績があるからな」
と言われているからちゃんも、軽々しい思い出では無いだけに辛いものがあります。
パライソ讃歌を軽やかに歌う鶴丸に、表情の無い松井江がまた。

  

人々の描写

「人が切れるのだろうか」「血が出るのだろうな」
という会話、コミカルな演出にはなっているけれど結構重いシーンだと思うのですよね。
戦いが日常だった戦国時代と違って、戦が遠いものになっているのは現代の我々と似たようなものです。
それでも知恵伊豆こと松平信綱は、心構えが違うような雰囲気があります。

豊前に逃げないよう見張れと言いつつも、
逃げる場所なんてどこにもないだろうが、と右衛門作に言い放つ鶴丸。
鶴さんの態度がやっぱり酷いような気もするのですが。

 

この山田右衛門作は果たして”史実”の右衛門作なのか

”史実”の山田右衛門作

山田右衛門作も諸説ある人ですが、
1588年のセミナリヨの名簿の中に、リノ山田16歳と記されいて、
これが右衛門作の可能性が非常に高いです。
ここでポルトガル人から西洋画法を習った経験があります。
島原の領主有馬氏に仕えていましたが、有馬直純が棄教し転封後は
新たに島原へ来た松倉重政・松倉勝家にお抱え南蛮絵師として仕えます。
島原という場所自体、信仰を棄てかねた遺臣たちが大勢浪人としていた状況だったようです。

右衛門作は中でも学問に秀で文章にも達者だったとされています。
その能力を買われ、一揆勢から参加を無理強いされます。
一揆に加わらないなら家を焼き払うと脅され、更には妻子が人質に取られて
止む無く乱に加わった事情を記した書状が残っています。

陣中旗を描いたのもこの人では、と言われています。

島原の乱では原城本丸番頭として籠城軍側にいました。

 

劇中の山田右衛門作

このパライソの中で描かれる右衛門作は、強いられて脅されて
というよりは、天草四郎という少年に魅入られて彼を担ぎ上げ
熱狂的に民を煽動しているように見えます。
伝わっている史実としては、右衛門作は四郎に傾倒し
「才知にかけて並ぶものなし。四郎は儒学や諸術を身につけたデウスの生まれ変わりである」
とまで言っています。
一揆軍から見れば裏切り者でもあるでしょう。
ただ、一揆の首謀者という印象がある人はそう多くないのではと思うのです。

単に脚本として『こういう右衛門作』に設定しただけかもしれませんが
自分としてはちょっと違和感があります。

 

一揆軍を集める

刀剣男士は身の上を一切説明しておらず、右衛門作からすると
唐突に悪魔に襲われ四郎が殺され、更に得体のしれない人たちに囲まれ見張られていることになります。
旅に出る前に、鶴丸と三日月を信じろ、本丸を古くから支えてきた刀だと
浦島に伝えたという長曽祢虎徹。

しょうきちと呼ばれる少年が浦島に、
パライソに行けばお母さんに会える? と言うけれど、
この時点で多分多くの観客はお母さんは死んでいるのだろうなと思っちゃいますよね。
浦島は「探してやるよ!」と純粋な対応で。
パライソという言葉にぞくぞくと人が集まり、戸惑うような松井江。
幕府軍にいた、と低く言うけれど、浦島はまだその重さには気づいていません。

大倶利伽羅に借りてこさせた大幣を振りながら
「必要なんだよこういうはったりが。こういう馬鹿馬鹿しい戦にはな」
と言う鶴丸。馬鹿馬鹿しい戦だと思っている訳です。
天草四郎は白い着物に袴、手には御幣を持っていたという目撃証言が残っていますから、
白い装束の鶴丸が持つには十分なはったりです。

どこの家中の者かと問われ、
元は秀吉が所持し、その後石田三成に下賜された刀である日向は
強いて言うなら豊臣家か石田家と答えます。
右衛門作はこの回答から思いつき、
秀吉の馬印という”はったり”を持ってきて
日向を豊臣秀頼の落胤説をとった天草四郎として民に紹介します。
秀頼が真田信繁と共に九州へ落ち延びたという伝説があったので、
真実味のあるはったりだったのではないでしょうか。
青い瞳の日向は、目が青かった、ハーフだったという四郎の噂話とも繋がりますよね。

太閤殿下の孫という肩書は民に響きます。
幕末の錦旗もそうですが、鶴丸の言う通り『はったり』が馬鹿馬鹿しくも効くことってあるんですよね。

太閤様の治世では、我等ももっと豊かだった。徳川の世は民は飢え苦しんでいる。
M14『右衛門作音頭』からM15『パライソ讃歌 日向正宗』の流れは
空恐ろしくも美しくもあり。
「いんちきくさい」「嘘っぱち」と言う豊前に、「光だ、人は光を求めているのだ」と言う右衛門作。
光の中に立つ日向は本当に美しく、自分でついた嘘だけれど
右衛門作は本気で日向を光だと思い拝んでいます。
神の御使いだと、本当に思っているのではないでしょうか。

  

M16『白き息』

伽羅ちゃんの力強い歌と舞が胸に響きます。
鶴丸を心配し、三百年の経験にも思いを馳せていそうです。

祈りの言葉も 献げる花も 持たぬ俺はただ 白き息をきらし この身を鍛えるのみ

浦島は一揆に参加するのも分かる、と相当民に入れ込んでしまっている様子。

蓑踊りという酷い行いがあったことを話す浦島に、「見たのかい?」と問う鶴丸。
たった一言だけれど深い言葉です。

 

なんの為の拷問だったか

西洋の魔女狩りと同じように扱われがちな禁教の令。
疑わしい人の処刑ではなく、転び=棄教が目的だったのが大きな違いです。
頑なに転ばなかった敬虔なクリスチャンが拷問を受ける結果になり
それは見せしめでもあった為凄惨にもなる。
もちろん浦島の言うとおり、行為自体は酷いものです。
ですが、魔女狩りと違って転べばその場で開放されました。
島原の乱については、キリシタンの迫害と重税を課したことの大きく2つの理由があります。

蓑踊りは別として、酷い話だという伝聞を突き詰めて聞いていくと
誰も自分の目で見たという人がいない、というのはありがち。

クリスチャンが何故問題だったのか。
この後並外れた信仰心の恐ろしさは描かれますが、奴隷売買などについては描かれず。
信徒との戦いがどう重要かというと、一向一揆の件も避けて通れないエピソードです。
踏絵についての描写も無かったですし
エスカレートしてからの拷問は蓑踊りだけでなく色々と酷いのですが言及は無く。
単に描写しないことを選んだのか、意味があるのか気になるところです。

 

戦いの理由

浦島の言葉を聞いている鶴丸の表情がなんとも言えず。
また、松井江がパライソの意味を知っていて伝えるところ、
三百年を通ってきた大伽羅ちゃんが言う「深入りするな」も泣けますし、
理由を「歴史が変わるから」と誤魔化す鶴さんがこれまた…。

キリシタン以外の人も集まっている、と日向と豊前が言い、
戦はそんなものだと言う鶴丸。
「戦をしている理由はひとりひとり違う」。
これもまた真実なんですよね。刀剣男士もそうだ、と。
理由は歴史を守るためではないの?とも思いつつ。

「もう間違いは起きてしまっているんだからな。
単純な暴力を選んでしまった段階で間違いだろう」
戦は全て間違いと断罪してしまえば、刀は間違いの道具だということになります。
それはあまりに辛い考え方です。
刀は人を斬る為のものではないことは、審神者ならみんな知っていることですし…。

ここで、兄弟のおにいちゃんと話してお母さんは既に死んでいることを浦島が知ります。
無駄な希望を見せることが酷だと思うから、おにいちゃんは浦島に懐かなかった訳です。
「母は一揆に参加しなかったから殺された」。
親も無く弟を餓死させたくない。
「おれたちはまだ生きていかんばならんけんさ」
このおにいちゃんの叫びが辛いです。兄だから弟を守ろうと必死なんですよね。

「光か。そろそろ傷つく頃だよな」と言う鶴丸の台詞の後にくる
民衆たちのシーン。
おにいちゃんの告白を裏付けるような行為。
一揆に参加しろと無理強いする人々が、参加しない人たちを切ってしまいます。
寺は焼き討ちに遭い、お坊さんたちも滅多刺しにされます。

なんで、と混乱する浦島に「異教徒、だから」と言う松井江は、
やはりこの一揆勢の問題や実情を理解しているように思えるのですが。

史実でも女子供関係なく、また実際の意思に関わらず改宗させられて参加させられたと言われています。

 

原城への籠城

右衛門作は、”また城を持てた”と鶴丸に言われています。
それが右衛門作の目的だったかのような。
先程キリシタンだけが集まっている訳ではないと日向たちが言っていましたが
小西行長や有馬晴信の遺臣たちも浪人として参戦していて、右衛門作もその立場の様子。
とは言え、臣下がリベンジ的な感じで城を取り返したとして、
「城を持てた」という表現はすごく違和感があります。
家臣のものじゃなく、主のものですよね、お城って。

迎え撃つことに、松井江と浦島は否定的です。人間を相手にするのは違う、と。

「おれたちの任務は歴史を守ることだ。そのために必要なことはなんでもする。
たとえそれが人殺しでもな。
それが嫌なら、刀剣男士 、辞めるかい?」

と言って去る鶴丸。まずすぐに追うのは大倶利伽羅、そして豊前でした。

歌合で招んだ松井江相手に、これはあまりに強い言葉。

 

刀剣男士を辞める方法はあるのか

辞めるか、という言葉が強すぎると思う理由としては、
折れろもしくは時間遡行軍になるかと言っているように思えるからです。
それ以外に『刀剣男士を辞める方法』ってあるのでしょうか。

そのどちらにもなって欲しくないから、鶴丸は浦島と松井江に
今のうちに甘い考えを捨てさせたいのでしょうか。

 

総攻撃の失敗

言葉どおり先陣を切って板倉軍と対峙する鶴丸。
殺陣が見事です。

板倉重昌の指揮に従わない九州の諸侯たち。
長期化し幕府の権威が揺らぐことを恐れた結果、老中松平信綱が改めて総大将となり
援軍も送られることになるのですが、焦った板倉は寛永15年1月1日に総攻撃。
大損害を出しつつも突撃し、眉間に銃弾を受けて戦死します。

ここもまた引っかかるのが、この板倉氏は鶴丸に切られ、民兵たちに首を切られましたよね…。
鶴丸の姿を見て右衛門作は怖がっているようですし、鶴丸も意図してそうしているように見えます。

攻撃失敗の報を聞いた伊豆守の「撫で斬りじゃ」と発する表情が堪りません。

  

M18『海と夕焼け』/M19『静かの海』

末っ子である浦島が、兄弟たちと交流を深めながら
にいちゃんたちはこんな気持ちだったのかな、と言っているのが
微笑ましいのですが辛いです。

転じて夜。
大倶利伽羅が、「石切丸は背負いすぎて壊れかけた」と
鶴丸を案じます。

かつての足跡が消えることのない 穏やかな場所 静かの海 沈黙の雨 なぜ黙る なぜ噤む 静かの海 雄弁な土  なにを語る なにを憂う そこに風は吹かない 退屈な場所

二人の歌声がとても美しい曲です。

静かの海=うさぎの顔あたり。だから後ろに浮かぶ月が丸く。
アポロ11号の月着陸船が着陸した場所としても有名です。
すっかり意識から飛んでいましたが、2205年が刀剣男士のいる世界でしたもんね。
1969年7月20日は我々と同じく『かつて』であり、2205年でも穏やかな場所として在る様子です。
風も吹かず退屈な場所と言いながら、「いつか行ってみたい」「そうだな」と。

もう、JAXAに頼んで積んで行ってもらえないかな。涙

憎まれ役を演じる鶴丸を心配する大倶利伽羅。彼の前ではちらりと本音を吐く鶴丸。
二人の関係の深さが伺えます。
「自分自身を憎めるくらいじゃなきゃやってらんねぇだろ、こんな戦」

それでも、どうしてそこまで背負わなければならないのかと、自分などは思ってしまいます。

松井江と豊前江の歌も美しいのですが、その後現れる鶴丸により
またしても松井江の言葉は遮られてしまいます。
2人には幕府側に潜入して欲しい、というのはわかります。
時間遡行軍としては、今度は幕府側の人間を狙って歴史を変えようとするのでは
という読みは納得できるのですが、この戦が終わるまで潜入しろと言う鶴丸。
「そのまま幕府側の兵隊として攻め寄せてくれればいい」
という鶴丸に絶句する豊前江。松井江は何も言わず立ち去ります。

松井江は細川忠興の重臣である松井興長が所持していた刀で、
松井興長は原城での籠城戦に実際に出陣しています。
松井江の刀剣破壊台詞からしても、
松井くんは加害者サイドの罪の意識を持っていることが窺えます。
知っている豊前としては、また同じことをさせようとする鶴丸を批判するかと思いきや
「あんがとな」と礼を言う。
この瞬間の目を瞬(しばたた)く鶴丸の表情が素晴らしい。

豊前としては「松がいつかは向き合わなければいけないこと」であり
「今回はおれが側にいてやれる。刀の時とは違って」
「同じ赤に染まってやるよ」と。
そんな豊前に「松井江を頼む」と言う鶴丸は、やっぱりきちんと隊長なのですよね。

 

戦の始まり

同士討ち、人殺しを楽しむような描写、卑怯な振る舞い。
戦いの描写が大変えげつないです。
浦島はぎりぎりまで鞘を払おうとしなかったのが辛い。
松井江も、人を切ろうとして止めた後、切られる覚悟をしていたように見えます。
ここでのゲーム内回想台詞の回収も見事な折り込み方でした。

切られるかと思うようなピンチも切り抜けた兄弟。
無邪気に石をぶつけたと鶴丸に報告する兄弟が痛々しい。

”刀ば両手に持っとるおかしかおっちゃん”におにいちゃんが石をぶつけたそうで
「それはなぁおまえ、60戦無敗と恐れられた割と有名なおかしなおっちゃんだ」
と言う鶴丸に思わず吹きましたw

これって、宮本武蔵なんですよね。
熊本藩の客分であった武蔵は、豊前中津藩主小笠原長次配下の軍監として
養子の伊織と一緒に島原の乱に出陣しています。
武蔵が書いた有馬直純への返書に、
「敵の落とした石に当たって、脛も立てないでいる」とあるんです。
”割と有名”どころじゃないですし、結構重傷のようで
おにいちゃんかなりすごいことしています、実は。

浦島はやっぱり、兄弟に戦をさせたくないようです。
女子供も参加したのが史実なので、鶴丸としてはさせない訳にはいきません。
右衛門作に対しては「おまえの意見は聞いていない」と冷たい。
降伏しようと言うのも許しません。
「だったらなんでこんな戦始めたんだ」
「理由なんてどうだっていい。おまえは戦を選んじまったんだ。おまえが背負いな」

敵に寝返ろうとしたから牢にぶちこんでおけ、とも言う鶴丸。
矢文が来たと日向が持ってきた後のこの会話ですから、
学がある為幕府との交渉係で、矢文の文章も作成していて、
それを利用して幕府に内通しようとした、という史実が拾われています。

「わしは」と言う右衛門作の言葉の続きはなんだったのでしょうか。

走っていこうとする浦島を止める鶴丸の声も胸に来ます。
「ごめんな。駄目なんだよ、それは。これが戦なんだ。これが、歴史なんだ」
ごめんなって言うのが悲しいです。浦島と、日向も気の毒で泣けてきます。

 

伊豆守と鶴丸

内通と言いますが、それは一揆勢から見るからであって、
「和平に積極的だった」という台詞もあるように戦を終わらせようとする行為が
間違いであったとは言い切れませんよね。

伊豆守と話をしにきた鶴丸。しれっとこんな敵陣深くに来ています。
そして、天草四郎は存在しない、とも。
撫で斬りの理由を問う鶴丸に、「後悔だ」と答える信綱。

「二度とこのような戦が起きぬよう誰もが後悔せねばならぬのだ。
わしとて他に術があるのならばそれを選ぶ。だが。
不満もあろう。怒りもあろう。だが、正していくべきは政だ。
武器を取り戦を起こせば全て終わりだ。
戦には戦で立ち向かうしかない。何故それがわからん。
どのような理由があろうと戦をしてはならぬのだ」
「私は家康公が望まれた太平の世を守りたい。それだけだ」

この信綱の言葉は、本当に正しいと思います。
戦をしてはいけないし、付け加えるなら戦をしてしまったなら、勝つしか無いんです。

「この時代にあんたがいて良かった」と、互いに役割を果たそうと立ち去る鶴丸。

因みに、徳川として豊臣に脅威を感じていて、豊臣家の血を根絶やしにしたいがために
撫で斬りにしたのでは、という説もあって
個人的にはなるほどと思う部分があります。

 

右衛門作と鶴丸

牢に縛られている右衛門作の元を訪れる鶴丸。
「あいつだったらこんな時どうするのかな」
「すまなかったな、色々きつく当たっちまったのかな」
「でも、やっぱり好きじゃねぇなおまえのやり方。ひとりでやるべきなんだ、何事もな」
そして、そういう意味では似た者同士、と言う鶴丸。
「おまえならどうする。悲しい役割を背負わされた者として、こいつに手を差し伸べるのか」
これは、三日月と対話している、んでしょうね。

何故右衛門作がこの戦を始めたのか。鶴丸は「どうでもいい」と切り捨てます。
背負いながら生きていくしかない、おまえもおれも、あいつも。

個人的には全然どうでも良くなくて、『真実』を知りたいところなのですが。
史実しか知り得ない自分としては、山田右衛門作が始めた訳でもないと思っていますし。

絶望の中で右衛門作が叫ぶのは、四郎の名なんですよね…。

 

境界線

天国と地獄の境界線の見分け方。
M23『誰も教えてくれない』の兄弟の美しい歌声、紙吹雪を血に見立てた美しい振り付けと殺陣。
演劇ならではの素晴らしい演出でした。

松井興長の立ち回りが力強く。その手にあるのは松井江なのでしょう。
「酷い戦だな」と思わず言う松井。
あってはならぬものだから終わらせる。この血を忘れるな、と松井江に言います。
興長の目には、松井くんは家臣に見えているのでしょうか。
松井くんは「はい」と答え、刀の血を手で拭い、己の刀を抜きます。
このシーン、ごく短いものですが元主と刀剣男士の関係描写として
非常に好きなシーンです。
松井くんの物語を中心に一話使っても良いレベルのものを、
大変贅沢に使っていると思います。

史実でも兵糧が尽き、海藻を食べていたという一揆勢。
この物語の中でも日向の梅干しくらいしか食べるものがもう残っておらず、
鶴丸の発案で日向と浦島が食べ物を採りに海へ向かいます。
史実の回収であると同時に、浦島を遠ざける為の鶴丸の言葉でした。

一枚岩になれない幕府軍。
劇中で時間の経過ははっきりと明示されていないものの、
史実と重ねると主に12月から2月のことと推察されますし、
背後の月が満月に近い姿、三日月、再び三日月であることから
二ヶ月以上の時間が経過していることがわかります。

流石に兄弟と対峙した松井江は彼らを切れません。
ここのシーンも松井江の”見せ場”です。
切ってほしくない浦島。「目を閉じるな」と叫ぶ鶴丸。
松井江は、人間を切ることが辛くて、それくらいなら自分が折れても良いと
思っていたような気がします。
その中で、主との対話に気を強く持ち直すものの
やはり人を切りたくは無いのです。

 

刀剣男士は何故人の体を持っているのか

度々話題になっていることですが、時の政府はわざわざ
刀に対して心と身体という弱いものを与えて、こんな任務をさせて。
それは、何故なのでしょうか。

歌合でなぜ自分を呼ぶのかと問うた松井江に、
鶴丸たちは「使命果たす為」「力を貸したまえ」と答えました。
そして松井くんはこう決意した訳です。
「生まれてきた訳を、問い続けよう」と。
物語を共に紡ぐ為に生まれてきてくれた刀。

鶴丸が、だからこそ目を閉じるな、逃げるなと言うのは分かるのです。
ここで逃げるのでは、生まれてきた訳を追い続けることはできません。

でもならば、どうすれば良かったのでしょうね。
兄に切られるのでも、兄を切るのでもいいから
自分で答えを出せと鶴丸は言いたかったのか、
それとも侍に殺されることが分かっていて、それを見届けろと言いたかったのか。
松井江が殺さなくても誰かが殺す。それが”撫で斬り”だから。

おにいちゃんは弟を守ろうと覆いかぶさります。
大の大人が何人もでめった刺し。
「もうよい」と止められて、次へ走っていきます。
殺しに慣れていないから加減も分からないのかもしれない。
リアルだなと思いました。

 

これが歴史だ

放心したように崩れ落ちる松井江。
「行くぞ。任務は成功だ」。
鶴丸のこの台詞は、あんまりです。
気持ちは分かるけど殴っちゃ駄目だよ松井、と思いつつ
でも気持ちは分かる…。
ずっと松井くんはこの任務に思うところがあったのに、
常に鶴丸に言葉を遮られて飲み込み続けてきた。
最後まで言えないまま任務を終わらされてしまった。
飲み込み続けてもう言葉にならない思いが、拳に乗って溢れてしまったのだと思う。

豊前も、はっと反応はしているけれど近寄りはしないんですよね。

それに、鶴丸もどこかで、殴られたかったのかもしれない。
そのために憎まれ役を、任務の初手の編成選びの段階から買って出ていた訳ですから。
「自分自身を憎めるくらいじゃなきゃこんな戦やってられない」と伽羅ちゃんにだけ少し溢した本音。
こんな任務を完遂する為に、わざと偽悪的に振る舞い続けてきた。

この後の鶴丸の台詞が痺れました。

「これが歴史だ。これがおれたちの任務なんだ。
おれたちは、流れた血から学ぶしか無いんだ」

これ本当に、最高でしたね。
配信見ながらも思わずツイートしました。一応配慮しつつ。

だってこれ、答えじゃないですか?
なぜ歴史を変えてはいけないのか、なぜ刀剣男士が人の形を取らされて
こんな形で辛い任務を繰り返しているのか。
既に起こったことを繰り返し目の当たりにしながら、
せめてそこから学ぶしか無い。
実際時間遡行はできないものの、我々人間が歴史を学ぶ理由と
結局は同じなんです。
過去は変えられない。歴史から学ぶしか無い。
なのに、歴史は繰り返す。

これが、彼らの日常 これが、彼らの戦い

電子チラシ 裏面

なんて辛い『日常』なんでしょうか。
(こういうの見る度ほんとごめんね、と思うのに
毎回「軽傷くらいで撤退してたんじゃ任務を遂行できないだろ!」
と脳死周回させちゃう審神者でほんとごめん)

泣き叫ぶ松井江と浦島。
兄弟にまだ息があると日向が気づいて、鶴丸以外の全員が駆け寄ります。
大倶利伽羅が弟を抱きあげると、握っていた石が転がり落ちます。
敵を攻撃する為の弟くんの唯一の武器、ずっとおにいちゃんを守るために
握っていたんですよね。辛い。

 

任務を終えて

現れる物部。忍として伊豆守サイドにいた男。物部だったんですね。
彼の手引があったから、敵の本陣にもするっと入り込めたのでしょうか。
物部だと言われると、この人が忍として生きている理由も込み入ったものではと思わされます。

「三日月宗近様からの伝言です、あまり無茶をするなと」
三日月は、何をしているんでしょうね? この任務中、本丸にはいるのでしょうか。
任務に出ている隊の先回りをしているんでしょうか。
それとも、血の流れる場所は予め何度も行っている、とか?

安心しろ、と浦島に声をかけ、「さぁ、帰ろう」と言う鶴丸の声はとても優しく。
おにいちゃんの遺体に別れを告げる浦島と日向。
見守る豊前。辛そうに立ち去る松井江。
そして、大倶利伽羅はおにいちゃんが持っていた槍を拾ってそっと傍らに置きます。
祈りの言葉も献げる花も無いけれど、その身で一度は兄弟たちを救った伽羅ちゃんのこの行為も
泣けてきます。

鶴丸は自分が持っていたロザリオをおにいちゃんの首にかけます。
何通りもの意味が考えられる行為だったように思いますが、この後の言葉。

ふざけやがって。歴史の流れの中で悲しい役割を背負わされてる奴もいるだ? おまえの言う歴史ってなんだよ。 歴史に名を残した奴ばかりが歴史を作った訳じゃねーんだぞ。 助けてやれよ、救ってやれよ3万7千人。 ただの数字じゃねーんだ。それぞれ命があったんだ。生きていたんだ。 連れて行ってやれよ、静かの海へ。パライソへ! やれるもんならやってみろ!

血反吐を吐くように、涙ながらに海に向かって叫ぶ姿が圧巻です。

あーすっきりした、なんて冗談のように誤魔化すけれど。
足をもつれさせる鶴丸を咄嗟に支え、「おまえは、崩れるな」と言う大倶利伽羅。
ふたりの信頼感の厚さも堪りません。
この任務の編成を決めた時、大倶利伽羅を選んだのはある意味で、
鶴丸の唯一の自分への”甘さ”、だったのかもしれません。

 

日本の神様だから

線引はどこにあるのか。
たとえば新選組好きの自分からしたら、近藤さんは資料がいろいろ残っているので無理でも
土方さんは十分”諸説に逃がす”ことができる対象だったと思うし。
それでも救わなかったのは、新選組刀たちを強くする為に死なせるしかなかった、のか。
『誰も教えてくれない』の歌詞にもあった、境界線ですよね。

でも自分は思うんです。
日本の神様はそれこそゼウス様のような全知全能の神ではないからこそ
自分の手から取りこぼす、取りこぼさざるを得ない、まるで人間みたいな
不完全だったり我儘だったり、理不尽だったりするところがある存在。

鶴丸がどうしようもなかったように、三日月も自分にできる範囲でしか
歴史に干渉できないんじゃないのかな。
3万7千人を救ってしまったら、歴史が変わってしまうから。
流石にどうしようもない……。

歌合が行われたさいたまスーパーアリーナが、スタジアムモードの場合で36,500人。
あの日集った我々より多い人数。
もう戦を起こしてはならないと決意する伊豆守の言葉を胸に
自分を憎みながらそれだけ多くの人々を死に追いやりながら、
どうしようもなかったとも分かっている。
だから、鶴丸は無茶な願いと分かっていながら、神であり仲間である三日月に
思いをぶつけたのだろうか、と。
人間が神頼みをするような、いやそれよりも愚痴に近いような。
近くにいたのが伽羅ちゃんしかいなかったからこそ。

因みに3万7千人と劇中ではなっていますが、事前に多くが逃亡し
実際は2万5千人程度だったという説もあります。
それでも十分多い数字ですが。
でもだったら、兄弟の一人や二人諸説に逃がしてくれても良いような…。

 

山田右衛門作の晩年

落城し幕府軍に捕まった後、矢文が証拠となって助命されます。
その後は江戸で取り調べを受けました。その後は江戸で暮らしました。これが66歳。
松平信綱の屋敷で絵を描いて暮らしたという話が残っています。
宗門目明しとして働いたという話もあり、取締りに使われた踏絵の中には
右衛門作が描いたものもあったそうです。
踏絵のシステムは酷いですが、
転ぶ者は地獄へ墜ちると言う宣教師の言葉を信じて
踏絵を拒み拷問を受けても死を選ぶという信念を思うと
宣教師は何を救いだと思って教えを広めてきたのだろうとも思ってしまいます。

彼の絵の腕前は相当だったようで、放火が頻発した時に信綱が
犯人が処刑される様子を描かせて市中に張り出したところ、
恐怖心を煽り、犯罪が収まったそうです。

83歳で島原に戻ったとか、キリシタンに戻ったとか、それで投獄されたとか
海外へ渡ったとか、いろんな説があるようです。

劇中でも 松平信綱に許されて一人だけ生き延びた山田右衛門作。
「この戦がなんだったのか、後の世のためにも考えろ」と知恵伊豆に言われますが、
考えた結果、犯罪を犯す前に恐怖して思いとどまるならと、処刑の風景の絵を描いたのでしょうか。
そういうやり方を、二人は自分たちの役割だと思ったのでしょうか。

鶴さんが別れ際に「長生きしろよ」と言ったのも、そうして役割を果たして欲しかったから、
なのでしょうか。

鶴丸がロザリオをかけた少年が天草四郎として発見されます。
存在しなかったのではとも言われる天草四郎ですが、現代にずっと名が残っている。
これで、歴史は元に戻った訳です。

 

本丸にて

弟が取り落した石を、ずっと持っている浦島。
それは捨てられないですよね。
考え続けることが役割。
それ、人間もそうですよね。考えるしか、無い。

本丸に蜂須賀虎徹がいて、浦島を慰めてくれるのはほっとするな。
そして松井には豊前がいる。
気まずいという松井がみんなに励まされて、梅干しを一緒に食べよう
という仲直りの仕方をするところが可愛い。
まさかの味音痴な伽羅ちゃん。

後ろでは人間たちが敵味方関係なく笑顔で握り飯を食べている。
先のシーンで血に見立てられた紙吹雪が、花びらのようで。
境界線。もしかしたらそんな未来があったかもしれないし
これがパライソなのではなかろうかと。
救済とかだいそれたものじゃなくて、幸せってただこういうものなのじゃないかと、思いました。

 

2部感想

どれも良いですけど、やっぱりFree styleがとっても好きです。
やっとここ(大千秋楽の板の上)で歌う姿が見られたことに感無量でした。

それと、本編では封印されていた中村誠治郎さんの殺陣が見られたのは嬉しかった。
刀剣男士のお着替えタイムのつなぎに留まらない人間キャストの太鼓の時間、
審神者としてはもう毎度楽しみになっていると思います。
本編が中々人間キャストには救いが無い物語だっただけに、
人間キャストが力強く恰好よく太鼓を打ち鳴らす姿がいつも以上に良かったです。
右衛門作や伊豆守がYUKARIで刀剣男士たちとステージ上で笑顔なのが嬉しくて泣けました。

で、その後ですよ問題は。
戦うモノの鎮魂歌-レクイエム-を人間キャストさんが歌うというこれまた涙腺崩壊ナンバー。
11月25日に公開された楽曲リストによると、
『戦う者の鎮魂歌−レクイエム−』となっていました。
モノが片仮名なのもダブルミーニングだと思っていましたけれど
今回ははっきりと『者』として人間たちへのレクイエムになっているところに震えました。
山田右衛門作と松平信綱が「せめて君のため祈ろう」と歌うのもそうですし、
おにいちゃんと思いきや弟くんが成長した姿では、というのが。
条例問題でソワレの2部には出られない弟くんですが、それと本編の結末を逆手に取り
名言はしないものの衣装で表現するところが心憎い。
あの場にはちゃんと兄弟がいた、わけです。
(これってマチネではどうだったんでしょう?)
更に他に人間キャストも出てきての歌声が美しかった。
侍たちの心をも表している歌だと思いました。

そこからの国歌斉唱ですよ。この流れ最高です。ここがパライソか。

1年8ヶ月も自分がなんの役をやるのか・やったのかを発表できなかった
人間キャストさんたちみなさん、なんとも気の毒です。
いろんな意味で本当にお疲れ様でした。そして演じてくださりありがとうございます。

千秋楽の日は旧暦で言うと10月21日なので、
島原の乱が起きた寛永14年10月25日の季節感というか空気感に近かったのかもしれないななどとも思いました。

「ここまでこれたよ」という鶴丸の言葉、
「過去を変えることはできないけど誰にだって平等に未来はある」という松井くんの言葉が
審神者としても本当に感無量で、豊前のストレートな言葉にも泣けました。
ほんと、予定外に壮大な出陣になっちゃいましたよね。でも本当に、感謝です。
そねさんとはっちーには浦島を捏ねくり回して甘やかしてあげて欲しい。

「おれたちもお疲れ!」って後ろからも声がするのもなんか最高でした。
良い座組だったんだなって思える。ずっと一緒に戦ってきたんだもんね。

「次の驚きを楽しみにしててくれよな」の鶴丸の言い方が随分やらしいなと思ったら、ですよ。
まさかの第3部があるなんて、聞いてないよ…?

顕現したばかりの伽羅ちゃんにいきなり斬りかかる鶴丸。
新選組刀ばりの手荒い歓迎です。

会場で叫んじゃってましたけど、まぁ叫ぶわなぁこれは。
この双騎は、芝居要素多めになる、のかな?
楽しみです。

 

DMM配信用コメント

公演に出てくる好きな台詞を一人ずつ発表したんですが、
みんな仲良しなんだろうなっていう感じがするし
それぞれ中の人らしい内容でニコニコしちゃいました。

印象的だったのは、来夢くんが、自分なら言えないとして
鶴丸の台詞をあげていたこと。
役者としては、言えない強い言葉だって感じていたんだなぁと。

 

考察のようなもの

敗者の歴史

パライソは元主との対峙による葛藤や時間遡行軍との戦いではなくて、
刀剣男士の仕事は時間遡行軍により引き起こされた歪みを正すことになっているところが新しく、
刀剣男士は時間遡行軍よりも人間と戦う時間の方が圧倒的に長かった。
それでいて『役割』というキーワードは今まで以上に強く描かれていました。

撫で斬りにされた”名も無き”3万7千人の役割は死ぬことだったのか?
そんな訳無いだろう、という怒りは残されつつも。

私ミュステ3振の中では染鶴が最高に解釈一致な人だったんですよ。
ミュにも鶴丸が、と聞いて楽しみでしたし、
来夢くん自体はすごい役者さん連れてきたなって感じなんですが、
葵咲本紀本編については、結構拍子抜けしちゃいました。
編成にどうしても必要だったかと言ったら、途中でいなくなり
影で頑張ってましたとふらふらになって再登場するのが納得いかなかったんです。
次に隊長を任せる為にねじ込んだのかなぐらいにしか思えなくて。

でもパライソ見せられたらもう来鶴に魅せられるしか無いし、最高の鶴さんでした。

右衛門作や伊豆守にとっては、苛烈な神であり赦し(許容)をくれた神であったでしょう。
冒頭の山田右衛門作を思い返すと、自分だったら「この世に神などいない」と思いそうですが
彼にとって神は鶴丸になったのかもしれない。

黒羽麻璃央くんがトークショーで、茅野さんから鶴丸役の来夢くんに「是非会え」と言われて会った、
という発言があったそうで、ミュ本丸の物語としての、三日月と鶴丸の関係の重要さについても
考えてしまいますね。

パンフには、今作は「敗者の歴史」がテーマであると書いてあるそうです。
負とされるような歴史の一面にも光を当てようという思いだったそうで。

流れた血から学ぶしか無い刀剣男士が行く先々は、流れた血が多い場所であればあるほど
悲惨な敗者の歴史が作られる瞬間を目の当たりにするものになるでしょう。
やるせないなぁ……。

刀剣男士の行く先が基本戦国か幕末になるのも当たり前ですし、それより時代が進めば世界大戦になるのも道理。
もうそれより先に刀剣男士が行かなきゃいけないような時代が作られないようにしたいなと
思ったりしました。

 

ミュ本丸の時間の流れ

阿津賀志山異聞→幕末天狼傳→三百年の子守唄→
つはものどもがゆめのあと→結びの響、始まりの音→葵咲本紀
ここまでは、対になっていると言われてきました。
円盤のジャケットも、横向きと縦向きになっているのには意味があるはずだと。
コロナが無くても公演の順番としては
静かの海のパライソ→東京心覚→江水散花雪 だったんでしょうか?

少なくとも2021のパライソでは、そねさんが修行へ行っていて、
からちゃんは三百年の後なので
三百年の後なのは間違い無さそう。

ただ三百年と葵咲本紀は時間軸が違う説もありますし
再演を再演とは呼んでいないこと、内容が少し変わっているのが
単なる再演での手直しでは無い説を取ると、
ステでも、もっと言えばゲームでも我々は何度もループしていたり
複数の時間軸へ訪れている訳で……。

パライソと心覚って対なんでしょうか。
確かに豊前はいますし、対じゃないと断言もしきれないけれど、
他の6作品に比べて同じ世界感という雰囲気は薄いです。
それに心覚は8振登場しています。
5周年を超えて、枠を取り払っても良いと思ったので、という理由だったと思いますが
心覚はそうした特異なものだとして、パライソも特異点なんでしょうか。

ミュ本丸の初期刀は加州清光では無いそうですが
そうなるとむっちゃんかはっち、なんとなくむっちゃんかなと思ってきました。
ただ次回の江水散花雪次第では、まんばちゃんが初期刀オチもあり得るかもしれません。
あつかしはミュ本丸の初期の頃の話かなと思っていましたが
鶴丸と伽羅ちゃんの双騎の話があるいはそれより前なのかもしれないですね。
いずれにせよ、虎徹の言葉により三日月と鶴丸はかなり初期からいたのは確定です。
(でも清光推しなので総隊長は誰がなんと言おうと加州清光です。異論は認めません★)

 

歴史との違い

歴史は諸説あるものです。
刀ミュだけでなく歴史モノでは、この作品ではこの説でいく、という作品内史実があって
それに沿って物語が進みます。
なので、史実と違うからといって全部引っかかっていても意味がない。
のは大前提として。

たとえばむすはじでむっちゃんが撃つことが
土方さんが銃弾で死んだ史実の回収にも繋がっていたり
今回でも天草四郎の色んな伝説がきっちり回収されていたりと
細かい演出が史実とうまく繋げられていたと思うんです。
それなのに、島原の乱と山田右衛門作の設定が違和感がある。

 

島原の乱の流れ

重税の理由

肥前日野江(島原)藩初代藩主の松倉重政はキリシタンを黙認していました。
が、幕府の方針に従いキリシタン弾圧を行うようになります。
寛永2年に将軍家光から「甘い」と指摘され、弾圧は徹底的になりました。
重政は野心家で、キリシタンの根拠地であるルソンの攻略を幕府に進言。
遠征準備の為の戦費は領民に伸し掛かります。
江戸城改築の公儀普請に際しては、
過大な負担を申し出て心証を良くしようとしました。

将軍に指摘されて発奮するのはわかりますが
胡麻擂の為に重税を課されてはそれは領民が怒るのは当たり前ですよね。

 

一揆の始まり

そして寛永14年10月、村人が隠し持っていたデウスの聖画を
代官・林兵左衛門が焼き捨ててしまいます。
どうしようかと思っていた聖画が一晩でひとりでに額装されて飾られていて
奇跡の絵だ、と村で大騒ぎになったそうで
その噂を聞きつけた代官が訪ねたんですよね。
弾圧しているのだからそれは、代官としては焼きますよね。
キリシタンとしてはそれは、怒りますよね。
有馬村のキリシタンが中心になって代官を殺害してしまい、これが島原の乱の始まりです。

島原藩は一揆に加わっていない領民に武器を与えて鎮圧を試みますが、
その武器を持って一揆軍に加わる者もいたそうです。

 

天草について

数日後には肥後天草でも一揆が起こります。
肥前唐津の藩主は寺沢広高。唐津城を築城し、
飛び地であった天草を治める為に富岡に城を築きました。
石高は4万2千と申告しましたが、これは実情の倍ほどの値だった為
徴税が過酷になりました。
この石高が一因となり、嫡子の堅高が藩主の時になって島原の乱が起きる訳で、
その後責任を問われて天草領は没収されてしまい
藩主は自害してお家断絶になってしまったにも関わらず
天草の石高の半減を幕府が認めたのは乱から21年後の万治2年です。

天草の城代は三宅藤兵衛でした。明智光秀の娘婿、左馬助光春の遺児、
つまり光秀の孫です。
彼はキリシタンを取り締まりつつも困窮する百姓には
米三百七十石を与えたとの記録もあります。
天草の領民が蜂起した理由は、地理的に近く
姻戚関係も多い島原の領民に対する同情も大きかったと言われています。

 

原城籠城へ

天草では11月14日に城代の三宅を討ち取り、唐津藩兵が篭る富岡城を攻撃。
北丸を陥落するも本丸を落とすのは難しく、島原へ移動して
旧主有馬家の居城であった廃城・原城址に籠城し、島原の一揆勢と合流しました。
それが、37,000人。
一揆軍には農民のほか、元領主の遺臣たちも数多く加わっていて、実戦経験もありました。
日本各地に使者を派遣しており、長崎へ向けて侵攻しようとしていた節もあり
ポルトガルからの援軍を得ようとしていたという説もあります。
一揆勢は鉄砲や刀、槍などで武装。城では大筒も備えて発射し、
その響きで対岸の肥後では騒動の勃発を知りました。

上使として、御書院番頭の板倉重昌が派遣されましたが
12月10日、20日の総攻撃を耐え、
2人目の討伐上使として派遣されたのが老中の松平信綱。
知恵伊豆がやってくる前にと焦った板倉が寛永15年1月1日に策も無いまま再攻撃。
4000人の被害を出し、板倉自身も戦死。
これを受けて1月10日に増援が命じられ、12万以上の討伐軍が到着しました。

 

戦いを終わらせるということ

伊豆守の言葉にありましたけれど、残酷なようでも
徹底的にやらねばもっと多くの命が失われることになる。
島原の乱以降、幕末まで内訌はありませんでした。
伊豆守が島原の乱を、「終わらせた」からです。

そして幕末には、テロを徹底的に潰さなかったから
鳥羽伏見が起き、そこでも逃げたから幕府は討たれました。
ここで幕府は抵抗をやめ、幕府の代わりに徹底的に潰される対象になったのが
会津藩、そして幕府の脱走兵や新選組などの箱館まで転戦した人たち。
テロを起こした側が『新政府軍』となって立場が逆転し、
官軍サイドが徹底的に「終わらせる」役割に変わったのです。

 

落城とその後

兵糧攻めとの意見もあったものの2月24日に総攻撃が決定され、
雨天が続いたので28日に攻撃することになるのですが
27日に鍋島勝茂が抜け駆けして攻撃が始まり、原城は落城。
城としての機能を再生できないよう、櫓台の隅石を外され、
残っていた建造物も焼却して石垣で埋めるという徹底的なやり方で無に帰されました。
島原藩主・松倉勝家はこの乱の責任を問われ改易され、後に斬首。
民衆が全滅してしまったあの地には、全国各地から移住者が集められました。

 

作中との違いで気になる点

キリシタン弾圧の側面を描くには、代官殺害のエピソードってすごく重要な気がするんですがその辺りがあまり無く。
重税に苦しんで貧しい感じはありましたが何故そんなことになっているかの描写もあまり無く。
幕府が何故禁教に乗り出したのかもわかりません。
場所柄もあって鉄砲隊がいたことについても触れられません。
結果、『島原の乱を描いた』とするには、たくさんの人が死んだ悲しい事というだけで
描写が薄くなっているんですよね。
勿論飽く迄も刀剣男士の物語なので、そっちにフォーカスする為にざっくりカットした可能性は大いにあります。
ただ、政を正す為。その政が、伊豆守の台詞でしか窺えないことが残念なのと、
板倉重昌の死因が銃ではなく刀になっているのはちょっと見逃せないところです。
歴史が変わってしまっています。有名な人の死因って、結構重要だと思うんです。

 

山田右衛門作について

本作を見ていると、有馬家の家臣で、だから民衆を先導し
敵討ちのような、私怨を膨らませて戦いを始めたように見えます。

残っている記録からすると、
右衛門作は益田甚兵衛らとともに本丸で二千人を率いていて、
四郎からもかなり信頼されていたようです。
四郎の陣中見廻りのお供をしたこともあったようで、かなり近い位置にいたことは恐らく間違いない。

妻子を人質に取られて止む無く一揆に参加した人だとも思えます。
鶴丸は終始右衛門作には冷たいし、その自覚も持っていましたが、違和感があるんです。

それとも自分は島原の乱は詳しくないので、
実は右衛門作が自分の野心の為に民を扇動した説もあるんでしょうか?
代官を殺害した有馬村の人たちの筆頭だった、とか? だと鶴丸の怒りの矛先が向くのも
わからなくもない。

天草四郎の側近のような立場にいつつも、
1月中旬には「四郎時貞以下の逆盗を誅伐して天下泰平を致さん」という矢文を打ちます。
2月1日には有馬から四郎・右衛門作宛に矢文が送られて、
3日に有馬の臣下が城内へ遣わされたので、降伏勧告だったと思われます。

元は進んで参加していたにしろ、脅迫されて致し方なくにしろ
籠城戦で援軍が望めず兵糧も尽きてくれば降った方が良いのでは
と考えるのは自然なことだと思いますし、
そんな時にかつての主である有馬直純から降伏を勧められたら、
自分なら降伏したいと思う気がします。
そこで強固に反論し、勝ち目の無い戦いを続けるとリーダーが言うなら
「総攻撃の日を知らせてくれたら、自分たちが城中に火をつけて船で落ち延びると偽り、
天草四郎を生け捕りにするから」という提案もそれはするかもしれない。

この提案に対する有馬からの返信の矢文は四郎の手に渡って逆鱗に触れ、
妻子は見せしめに殺されてしまいます。
激昂した四郎に投獄され、落城後に衰弱した状態で見つかったとされる右衛門作ですが、
確かにその辺りも、鶴丸という四郎の逆鱗には触れていたので史実の回収ではあります。
が、”和平交渉をしようとしていた右衛門作”をあそこまで嫌うのは変だと思うんです。

 

天草四郎について

山田右衛門作が四郎と少年を呼ぶからには、天草四郎はあの時点までは実在していたように見えます。
でも、松井江は天草四郎を見たことがありません。
天草四郎の伝説については結構細かく回収していたと思うのですが、
存在していなかった説を主にしているのでしょうか?
四郎は16歳くらいの少年という情報はあったものの、外見については分からなかったので、
幕府は戦が終わった後それくらいの年頃の少年の首を集めて、
以前から捕らえていた四郎の母親に見せて確認しました。
このお母さんは後に家の裏に四郎の墓を立てたようですし、
複数いた説は兎も角実在はしていたと、自分は思うんですよね。

でも鶴丸は、松井江が天草四郎を見たことがないのが当然だと言いました。
『この時間軸では』ということだったんでしょうか。

松井の記憶が頼り、という鶴丸の言葉や、
松井が四郎ではなく右衛門作に怒っている感じだったのも気になる。

ロザリオで四郎であると確認が取れたことになっていましたが、
単に演劇の演出としてわかりやすくこうしただけなのか。
現場で興奮して首を持ち帰ったけれど本人じゃなかった、
みたいなのは、まぁありそうな話です。

 

弟について

しょうきち、と呼ばれていた弟。
全滅したはずの原城で生き残ったということは、諸説に埋もれて
彼もまた別の人間として、物部として生きるのでしょうか。
寛永15年(1638年)頃に、12歳前後?
三百年再演で竹千代役を演じた同じ役者さんが別の役を演じるというのも
何か意図があるんですかね。少し気になるところです。

自分が見落としているだけで、名前または幼名がしょうきちな
慶安年間辺り以降に活躍した人とかいましたっけ…?
稲葉正吉は流石に違うだろうしなぁ。

 

時間遡行軍について

天草四郎という存在を消すことで歴史を変えようとしたようですが
鶴丸の「顔を見たことは? (無い)だよなぁ」がどうも引っかかって。
松井江の通ってきた歴史では、天草四郎は存在せず名前だけが残っていた?
もしそうなら時間遡行軍の方が歴史、というか事実、に修正したように思えます。
事実と真実の違いを鶴丸が言っていたのも気になるんですよねぇ。
多分大抵の歴史家は、真実が知りたい気がするんですが。

四郎を消してすぐ退散し、その後は現れないというのも気になるところ。
普通なら、少なくとも今までの刀ミュだったら、何度も現れそうです。
刀剣男士を倒そうとか、幕府側に潜り込むとか、何もそういう動きがなかった。
鶴丸が豊前と松井江を時間遡行軍を懸念として幕府側に行かせましたけど
端から単なるそれっぽい理由として言っただけで
「そのまま幕府側の兵隊として攻め寄せてくれればいい」が目的で
鶴丸は時間遡行軍がもう来ないと分かっていたのでは、とすら思ってしまいます。 

 

今後の展開は

流れた血から学ぶしかない刀剣男士たちの出陣先は、
必然的に戦国時代以前と幕末以降になります。
東京心覚を入れてもそうなりますよね。
江水散花雪も恐らく桜田門外の変でしょう。

新選組贔屓の自分としては、幕末の歴史の描写は思うところもあって
桜田門外の変でその辺りが多少回収されたら嬉しいのですが
水戸藩・薩摩藩中心の物語になるのかな…。
兼さんがいるので、どうなんでしょうね。

先程書いた『対』という話だと、もうそうするのは止めただけなのかもしれませんし、
パライソはあおさくの続きで、 江水散花雪がむすはじの続き という3つ目
というのも考えられるのかな、と思いました。

あとは、史実との違いが結構引っかかったのでパライソの対になるものが
今後出てきて、そこは史実に近い世界である可能性もあるのだろうかと。

宮本武蔵は折角だしネタとして出したのでしょうが、
刀剣男士としては二刀流って興味深い人物ですし出てきても面白いし
今後有馬が出てくる可能性もある、かな?
中村さんの殺陣が見たかったという人は多かったでしょうし
過去話で再登場してくれたら嬉しいなと思います。
その時にはミュ本丸にも歌仙兼定が顕現しているのかもしれないですね。

あとはコロナ禍の影響でスケジュールを組み直したというのが、
パライソ2021を捩じ込んだということだけなのか
本来の公演順番を変えているのか、
たとえば江水散花雪の内容をパライソ公演後として書き直した可能性があるのか。

 

江水散花雪について

江水散花雪

茨城県立図書館デジタルライブラリー

月岡芳年の錦絵で、同名のものがあります。桜田門外の変を描いたもの。

 

土方さんの句

とってもざっくり言うと、この句を水戸浪士万歳とする説は自分は同意できなくて。
日野あたりでは将軍家のお膝元として農民たちも誇りに思っていた訳ですし
近い場所で起きた大きな事件に、普通にショックで気の毒と感じたんじゃないかなと。
とてもざっくり言うとね。

因みに世間には負傷により休養とされ、亡くなったことは秘密にされていましたが
目撃談は当然ありました。土方さんはいつ頃何を知って詠んだものか。

 

井伊直弼の句

井伊さんが、偶然桜田門外の変の前日となる日に詠んだ歌。

咲きかけし 猛き心の 一房は 散りての後ぞ 世に匂いける

咲きかけた花は、散った後にこそ匂うだろう。
自分のやってきた事は、死後に世間が知るだろうといった意味とされます。

多分教科書の知識だと、安政の大獄とかの印象になっちゃうと思うんですが
相当改革をされた方です。
出る杭は打たれるじゃないですけど、目立つことをすれば嫌われることもあり
敵も多かったようで、警護を増やすべきと助言されつつも出仕していました。
日々覚悟をしていただろうから、これが辞世の句も同然と見なす向きもあります。
前日は体調不良で欠勤されていたはずなので、寝込みつつ詠まれたのかもしれないし
何か察するものがあって休まれたのかもしれないですね。

 

桜田門外の変の話を少し

安政七年3月2日に集合し、決別の宴を終えた水戸浪士たち18名。
夜半から雪が降り始めました。
3月3日は上巳の節句なので、諸大名の一斉登城日です。
井伊さんの駕籠を見送った後、机の上に
開封された書状が置かれているのに家臣が気が付きます。
それは水戸藩浪士の襲撃を密告する投書でした。
慌てて護衛を増援を出して追いかけさせようとしますが、
それは間に合いませんでした。

浪士たちは駕籠訴を装って井伊さんの駕籠を止め、拳銃と刀で襲撃します。
応戦する藩士たちは60名ほど。
雪の為柄袋をつけていたから応戦が遅れたとか、多くが逃げたとか言う話もありますが、
真剣で戦う時は腰が引けるものだが、鍔元で競り合っていたという目撃談もあり。

浪士は駕籠を担ぐ人足の足を切って駕籠を傾け、左右から刀を突き刺して、
倒れた駕籠の戸が外れたところを井伊直弼を引きずり出して討ち取りました。

幕府では水戸藩討伐すべしの意見も出ましたが、
これに反対したのが会津藩の松平容保公。
「水戸藩の凶行はたしかに酷いものだが、
一部の過激分子が脱藩して起こしたことで
責任は免れないとしても
身内を厳罰に処しては災いが大きくなるばかり」。
老中たちは無理無理、自分で将軍に言って、という感じだったのですが
容保は将軍家から召されて意見を問われ、水戸藩問罪は沙汰止みになりました。

水戸藩と彦根藩は当然ぴりぴりムードですが、
会津藩は溜間詰で彦根藩と同じ部屋にいる縁もあって
調停に入ることになったそうです。
そこで、水戸へ行って話を聞いたら、ぜひ助けて欲しいと言われ……
なのですが、この話はまた別の機会に。

井伊直弼さんと八代松平容敬さんは従兄弟同士みたいなもので
容保が容敬の敏姫の婿として養子として迎えられた時も
「我が子が二人増えた」なんて言って、結婚した時も招いて祝ってくれたそうで、
自分だったらそんな人を殺された恨みで
水戸藩討伐すべしって言ってしまいそうです…。

3月18日には、火災やこの変事があった為に万延に改元されました。
翌年は辛酉革命※による改元の年で改元するのだから今するのは可笑しい
という意見もあったのですが、孝明天皇の強いご希望があったそうです。
そして、短い万延の次にくる元号が文久です。

※60年に一度の辛酉の年は天命が改まって
王朝が交替する危険な運と言われており、
改元してその難を避けるのが習慣だった。

 

物語への期待

続きや対かは置いておいて、パライソの公演の後にくるわけですし
今回知恵伊豆の言葉でしか描写がなかった
政の正しさ、それを守る為にはどうしなければいけないか
という辺りが再度安政の大獄や改革、開国についての井伊大老の考えとして
描かれたら嬉しいかなと。また辛い話になりそうですが。

自分は新選組が出てくるのに会津藩が出てこないのは片手落ちだなと思っちゃう派なので
そろそろ刀剣乱舞の世界にも会津藩出てきてくれて良いのになと。
井伊さんとの関係から言っても、人間キャストで出て来て欲しいところです。

花びらのように降る牡丹雪のメインビジュアルの写真が美しいし、
上に上げた2つの句は出てきて欲しいなぁ。

兼さんが極姿ではないのが、修行へ行く前の話だからなのか
ネタバレになるから極前の姿なのかも気になりますね。

 

井伊大老のエピソード

自分が好きなエピソードのひとつなんですが
これをご紹介して締めようと思います。

医師松本良順が長崎に医学の勉強に行きたいと思いたちますが
医者は蘭方の禁があってそれは本当はできないんです。
それで悩んでいると聞いて、長崎海軍伝習所の総監理永井尚志は
海軍伝習生として行って、長崎に行った後は
分科として何を学んでも良いとアドバイス。
それでオランダ軍医のポンペから西洋医学を学べることに。

ですが勉強の途中で伝習の中止命令が出ます。
オランダ教師は解雇、留学生は帰藩するようにとのこと。
良順はちゃんと学び終えるまで待って欲しいとあちこちと交渉し、
行使も了承、ポンペは長崎に残ってくれることになったので、
長崎奉行から井伊直弼に願い出ました。
この辺りのお奉行様のお話も色々と恰好良いのですがこれもまた別の機会に。

で、井伊大老の回答がこれ。

「公使と教師の好意を無駄にしてはいけない。
しかし一度発した命令は取り消せないから公許できない。
すぐに帰府するよう下命するので、そうしたら君から再願しなさい。
その願書は私が受け取ったまま
何年でもその成業に至るまで忘れたことにしておいて問わない。
勉強が終わったならさらに帰府を命ずることにするから、安心して修行するように。
大老の職が医生一人の処置を忘れたからと言って、法において何の不可もない。
留学費その他一切なお、従来の如く(支給)しなさい」

奉行へ宛てた私信として密かに届いたのです。

松本良順は自伝で井伊直弼のことを、
真に大老の器だったが道半ばにして命を落とした。
とても残念だ、と述べています。

この松本良順は御典医にまでなりますし、
新選組局長近藤勇が
幕府の医者が夷敵の技術を奉ずるのは良くないのではないか
開国と攘夷についてどう思うか 教えて欲しいと訪ねたことをきっかけに
(訊きに行っちゃう近藤さんも、家へ上げて教えちゃう良順さんも大好き)
新選組と親しくなり、開戦後奥羽列藩同盟軍の軍医となって仙台まで行きます。
ここで蝦夷地まで行く話が出た時は反対。
土方さんも本心では反対であり

「俺もそう思うが、俺がそう言えば脱走者が増えて榎本の戦力を削ることになりかねない。
そもそもこの戦は300年来の幕府が倒れようというのに一人も腕力に訴え死ぬ者がいないのを恥じてのことで、勝算は無い。
君は前途有望なのだから江戸に帰ったほうが良い。
自分のような無能な者は決戦に挑み、国家に殉ずるのみだ。
ご好意は有難いが、俺は蝦夷地へ行きます」

と言われ、江戸に戻ることになります。

一方若年寄まで上り詰めていた永井尚志は、
土方さんたちと蝦夷地まで行くことになるのです。

和泉守兼定が出るなら、この辺りの人間キャストは出して欲しいんですけど、
水戸藩や薩摩藩サイドも出さないととなると人間キャスト多すぎですし難しいだろうなぁ。
刀剣男士キャストからすると、井伊家は当然として徳川家、池田家、土佐勤王党、一橋家も…
って全部出したら大変なことになりそう。

愛知公演があるから、尾張徳川家、池田はありえそうかな。

実は桜田門外の変の話じゃない可能性もゼロではないかもしれないけれど、
井伊大老が登場するならこうした融通が利く頭の良い方だったことも
描いてもらえたら嬉しいなと思います。