心技体、序破急、などはよく使う言葉だが「守破離(しゅ、は、り)」は知らなかった。
「この日本酒おいしいですよ」と出された一升瓶に「守破離」と書かれた千社札が貼ってあった。酒の名前かと思うと、下に大きく「まつもと」とあったので、この「守破離」はなにかが気になった。

調べると、日本の茶道、武道、芸術などにおける師弟関係のあり方を表したものとわかった。
師匠の教えを「守る」ところからはじまり、その教えを自分と照らし合わせて、自分に似合ったものに変えるために「破る」。そして最終的には師の教え、自分の造りだした技の上に立脚した個人は、己と己の技についてよく理解しているため、最初の教えから「離れ」て自在になることが出来る、ということらしい。先の一升瓶には、酒造りをした職人の心意気を貼ったのだろうか。

これは能にも通じる。師からまず、型(動き)や謡(声)の舞歌二曲(ぶがにきょく)の基本を習い、その教えを守りながらも、それだけで満足せずに個人の身体と技に己独自の心を注ぎ込む。それで満足してはいけない。それを考えずにふと自然に出来る境地まで達する、それが離れることか、そう解釈した。

実に、うまいことを言ったもんだ、と「まつもと」の美味を思い出している。
生意気かもしれないが、この習道精神、今まで試みて来ている。中々本当の「離」悟りの達観した境地にはなれないでいるのだが。たぶん死ぬまでこの習道循環作業の繰り返しで生きていくのかもしれない。ただこの繰り返しの作業に、なにか足りなさを感じている。

それは、教えを守り、破り、形成してという己だけの作業にとどまってはいないかということ、常に「伝える」という意識と行動を付け加えていきたいのだ。専門職、職人、もちろん芸人も、自分の殻に入ることで守を強く固める傾向があり、それもいいのだろうが、それだけでは単に堅物のオッサンになりそうな気がする。なにか足さなくてはいけない、常に意識していなくてはいけないこと、それは後継者に伝える、観客に、人に伝える意識だ。「伝」を入れたい。

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