一軒家は兎も角マンションだと、駐車場、駐輪場はあってもバイク置き場がある場合ってとても少ない。
理由として、需要があまり無い、騒音の苦情がくる可能性がある、倒れて周囲を傷つけることがある が言われるけれど、
置けないから泣く泣く手放すだけで需要自体は本当はあるのではないか。
深夜のエンジン音も車と違って手前で切って押してくることができるからバイクの方が迷惑はかからない。
駐輪場に置かされて倒れた自転車で傷ついているバイクは見たことがあるが、台風やなんかでも倒れたバイクは見たことがない。

結局これも飛行機の客室内にペットを乗せるか問題と一緒で、可能性の低いトラブルを避ける為に怪しきは受け入れないだけだと思う。
「きっとこんな問題があるはず」という人が実はバイクに関する知識がないパターン。
若者の**離れだの金を使わないから景気が上がらぬだの言っているけれど、その無駄にめちゃくちゃ上に持ち上げてるハードルを下げてから言ってほしいものだ。
車はまだ可能性があるが敷地内ではなかったり全戸分の用意がなかったりするし。

現代日本の様々な問題を考えると、他人に対して不寛容だなと感じるのだけれど、いつからこんな感じだったのだろう。
多分、個性を重んじたあたりなような気がしている。個が重要視され過ぎて公が軽視され、自分さえよければ良い考えになった結果、自分に得がないことは許可しないという感じ。
別に損をしないなら構わないではないかと思うのだが、自分には関係ないことに興味が無いだけならまだしも興味が無くてよくわからないからとりあえず反対、が多いと思う。
ここ数年目にする問題は大体そこに行きつく気がする。
こうなったらいいな、と声をあげても潰されがち。
そもそもなぜこのルールができたのか、が忘れられてもルールが改善されず、「こういう決まりなので」と交渉の余地すら無い。

先日読んだ本の中に
ルールを決めたり変えたりするのがとても大変だし
ルールの当事者を置き去りにして決められることが多いから良くない(ざっくり意訳)
というのがあって、本当にその通りだなと思う。

しかしルールはフィードバックを取り入れて定期的に刷新しなければ意味がないと思う。

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