なぜそのような文化が日本に根付いているのかを考えもせずに「良くない」と言うのは思考停止の押し付け。
日本はできない者を切り捨てないことで、万が一にも自分ができない側に回ったとしても切り捨てられない安心を買う社会を大切にしてきた。
そのために強者側の人はある程度弱者に合わせてあげることは大切なことだった。
皆で平均を目指しているのに、一人だけ違う行動をしていたらズルだろ!という考え方は必ずしも悪いとは思わない。

最初の方にあるこの記述に非常に頷くものがあった。
そもそも明治政府がそうだったので仕方ないかもしれないが
日本人は自国の文化に理解もなければ誇りもなく、
外国人から良くないと言われたらそうだ良くないと言いがちである。
しかし何事にも背景や理由がある訳で、それを知らずに自分の常識だけで推し量るのはナンセンスだ。

Why Japanese peopleのwhyに理由を説明できないといけないというのもとても共感する。
それができないといつまでも日本のことを知らない外国人に滑稽だと馬鹿にされてしまうのだ。
自分の国の常識と違うから変だという方がおかしいだろうと正直思うし、日本人は真面目にやっていればいつか分かってくれると思いがちだけれどそうは言っていられない。世界の常識の中では言い負けて終わってしまう。

どんなことにも良い面と悪い面がある。何事にもバランスが大事だ。

ロシアに、外国人が見たロシアなんて番組は無いという記述にハッとした。確かにそれはそうだろう。
外国人にケチをつけられてありがたがるなんて日本人くらいのものだろう。
謙遜と卑下は別物なのを勘違いしてはいけない。

日本の葬儀で火葬の後頭蓋骨が骨壷に入らないからとを割るのを見て吹っ切れたという気持ち、自分はよくわかる。
正直経験する前は火葬自体にネガティブなイメージがあったが焼いてなくなってしまうことで確かに吹っ切れるものはあった。

外国籍だと不動産を借りにくいというのは知っていたが、永住許可があってもダメというのはもう少し緩和してくれても良さそうな気もする。
バイトの面接も落ちまくった、でも外国人だからが理由じゃ無いかもしれないというのはとても良い考え方だ。
実際理由は別のところにあったかもしれないし、外国人だからはねられたのだと考えていても自分個人の力でどうにかできる問題ではないのだからそこで落ち込んでいても仕方ないことだ。

ジェンダーフリーだからといって男らしい女らしいの言葉をなくすべきでは無いというのも好ましい意見だと思った。

ゲイだから好きな人と子供を作れないということだが、好きな人と子供を作れないは他にも色々なケースが考えられる。
老後頼れる人がいないというのも同様だと思う。
別におじいちゃんになるまで一緒にただいるだけだって良いと思うのだが。

自分で何も調べず深く考えもしないのに他人を弾圧する人というのは
個人的には思っていたよりもとても多かったと最近よく感じる。
SDGsで環境配慮というのはそう言っていれば良いだろうと思っているのが透けて見えて、
よっぽどコストカットのためと正直に言ってくれた方が気分が良いと思うことがよくあるが
環境配慮ではなく人類が滅びず快適に過ごすためだろうという指摘もとても納得した。

誰もが幸せな社会は土台無理だと自分も思う。

英語を話せる人は素晴らしいとは思わない。何よりも母語が1番大切だと思うからだ。
英語を話せないということは一度も植民地にされたことがないということなのだから誇るべきという意見を以前見たことがあるが
この意見にもなるほどと思った。
いろいろな言葉が話せる人でも1人で頭の中で考えるときは母語で思考する。
語彙力があれば、思考が深くなる。母語がしっかりしていることで他の言語もより深く話せるようになるだろう。
自分の知人でまだ日本語が話せない時から英語を学ばせようとしていた結果、子供が混乱してしまったようで日本語すら話し始めるのが非常に遅かった人を知っているが
幼少期から英語を学ぶことで、思考力が減退するのではという説はあり得ると思う。

LGBTQの配慮をして欲しくない、放っておいてほしいというのもそれはそうだろうなと思った。
昨今叫ばれている結果、余計に偏見を生んでいるように思えて仕方がない。

本を読むことは大切だが、1、2冊で学んだ気になるのは間違いだ。
双方の立場の意見を聞くことはとても大切だ。
本を読むにしても色々な立場の人の書いた本を読むことでより解像度が上がると思っている。