公式サイト
https://gaga.ne.jp/gene7movie/

初日はお仕事だったので、22日の朝イチでバルト9で見てきました。

 

ネタバレなし感想

続きを読む: #ゲネプロ7 感想と考察

 

ネタバレあり感想

舞台のリアルな描写

劇団SEVENが売れるまでの軌跡

舞台、もっと言えば劇団が売れるまでがリアルだった。
冒頭で映っていた壁に貼ってあったこれまでの公演のポスター、じっくり見たい
と思ったらパンフレットに載っていたのは嬉しかった。

カンパニー公演じゃなく劇団の公演を見たことがある人なら
めちゃくちゃ分かるところだと思うんだけど、
最初はお金も無いし単色で、タイポグラフィと言って良いか
微妙、ぐらいの勢いの文字だけビラから始まるじゃないですか。
劇団SEVENは最初から国立新劇場を借りているから小劇団とは違うし、
毎年1月に定期公演を打ってきて2年めからもう自前の劇場があるけれど
それでもやっぱり最初はタイポグラフィで数色のポスター。
3年めから多分スタッフが増えて制作部が発足していて、
次にイラストを使うようになり、更にメンバーの写真を大きく打ち出すようになる。

この移り変わり方が、すっごくリアルだなぁと思いました。
どのお芝居も面白そうで、ほんとに見てみたいって思っちゃいました。

初演のタイトルが『REAL LIVE』。
これまでずっと蘇我が脚本に噛んでいたという話を踏まえて
ポスターを眺めていると、どんな話だったのか考えちゃいます。

 

劇団員としての仕事と、それ以外の仕事と

山井の所属していた劇団がたたむことになるところや、
劇団SEVENで見せているのと全然違う不敵な感じがとっても良かった。
不穏な演出としても良かった点。

売れない時は自分たちでビラ配りをし、
だんだん売れてきたらビラにもお金がかけられるようになってきて
スタッフも増えて、劇場も持てて。
そうすると今度は芝居以外の仕事も増えてきて、肝心の芝居に集中できなくなり
本番に向けて別の仕事やプライベートも抱えながら
ぎりぎりのところで役のことを考えて役作りに没頭する。
本末転倒だと思ったり、周りからそう思われたり。
こういうのも、あるあるだなと。

やる気レベルが全員揃っていなくても、一人誰かが旗振りをすれば
なんとかはなるけれどその人にものすごい負担がいくのは
特にアマチュアの支えるスタッフがいない劇団あるあるだし
カリスマがいて保っていたけれどその人が抜けたらガタガタになるのも
残念ながらよくある。

 

劇中劇とシェイクスピアの話

麻真は知らないと嘯いていたが、芝居やってると
本を演じていなくてもネタ的にでもシェイクスピアは知っていることだと思うので、
この辺りも舞台や劇団をモチーフにしている映画ならではとも言える。

山井(三浦くん)演じるパックはオベロンの命令で媚薬を使おうとするも
相手を間違えたり勘違いしたりと登場人物たちを混乱させる
トリックスター(秩序を破り物語を展開させる)。

焼野(染谷さん)のオセロは作り話を信じて妻デズデモーナの貞操を疑い殺してしまい、
後で嘘だったことを知って自死してしまう役。
妻というか正式な彼女ですらないが、ヒナコのことをデズデモーナと呼んでいた。
話としては飛び降りの方が好みだけれど、原作に沿えば
あの死に方の方が良かったのかもしれない。

麻真(流司くん)のリアは老王で娘に領地を与えるも裏切られ、
三女コーデリアだけが助けてくれるけれど三女もリア王も死んでしまうという悲劇。
コーデリアが素直な物言いをしてしまった為、甘言に騙され長女と次女に領地を与え、
コーデリアを勘当してしまうのと
ヒナコの言葉を信じて焼野に切りかかってしまうところは似ていると言えそう。

麻璃央くんの唐沢が演じたマクベスは、下剋上から王に即位するも暴政で自分もまた討たれる話だけれど、これはあまり唐沢とはリンクしていないかな。
強いて言うなら野心の実現=店の展開 あたりだろうか。
「人生は舞台。人はみな大根役者。」は印象深い台詞だけれど。
マクベスを邦画化した蜘蛛巣城は本物の矢を用いて撮影していたのは多少思うところがある。

陣内(和田くん)のハムレットは父の復讐をしようとして誤った相手を刺殺してしまい、その後復讐を果たすも自分も死んでしまう。
疑心暗鬼になるところが近いと言えば近いけれど、それは全員だしなぁ。刺殺も同様。

芥川(まっきー)のシーザーも「おまえもか」の名言は入っていたものの
どちらかと言うと芥川が裏切る側。
王の座(議員と親しいポジ)を狙っていた(というのも違うが)というところが
多少野心があったところと通ずるか。

黒江(高野さん)ロミオはわかりやすい範囲ではリンクしていなかったように思う。
計画通りに進まず失意のもとに死ぬというのはそうか。

悲劇なのでパック以外全員死んでいるのを、
リンクしていると言うにはちょっと…と思うところであり、
思ったほどリンクしてないのは勿体ない気もする。
観客が名言やそれをもじった台詞や設定シェイクスピアを知らないと、
細かなネタには気づけなかったのではなかろうか。

ところで、真剣になぜ日本刀と洋刀が混じっていたのだろう。
物語的には全員洋刀が正しい気がするのだけれど。

 

ラストの解釈について

現実か幻想か

個人的には解釈を見る側に委ねる系は好物なんだけど
それと丸投げは違うと思っていて、
この映画はほぼ丸投げだったと思っている。
ラストにもうひと押しなにか謎解きかどんでん返しが欲しかった。
それがあれば結構評価は変わっていたのではと、
映画系サイトの低評価レビューを読みながら考えてしまう。

大きく分けると
A. 全員死んでいてカテコは幻想
B. 死んだのが幻想or設定でお芝居大成功
C. 全てが「っていう芝居だったんだ」
の3パターンの解釈があるかなと思う。

 

公演大成功、と思いたい

じゃないとリアルじゃなくなっちゃう

自分としては、ゲネプロまでの間に互いの不信感が募り
役作りとリンクしていき、真剣にすり替えられていたところまでは現実で、
その後はそういう役作りができて圧巻の本番、感動のスタオベ
だと思いたい。
やっぱりなんだかんだでハッピーエンドが良いというか
あれ死んでて生きてるのが幻想だとあまりに意味わからん過ぎる。
そんな事件起きたら大騒ぎだよ。
本番じゃなくゲネプロなんだから流石に舞台でも事故と事件が立て続けに起きたら
止めなかったスタッフあたおか過ぎる。
自分らで止めるのは無理でも警察呼びなさいよ案件なのに、
最初は真剣なんじゃないかっておどおどしていたのが
お芝居がすごい!って言ってて死んでる方が現実ENDだったら
流石にほんと基地外過ぎるからそうは思いたくないのが正直なところ。

 

動機が不十分

これまでずっと一緒にやってきて、仲良しこよしじゃ無いとしても
芝居中(というかゲネプロ中)に事故に見せかけて殺しても良い
くらい憎んでいるにしては、憎む動機が全員弱過ぎる。
流石にあれだけで、ぶんなぐってやる!まではなっても殺そうとはならないと思う。

 

舞台の外でも芝居を続けていたのは

流司くん演じる麻真演じるリアと染谷さんの焼野演じるオセロが
舞台外にまで行ってしまっていて、
普通ならそこはお客様には見えない場所な訳で。
その時点でただの喧嘩になっちゃう。
でも、喧嘩やだーって言ってた麻真は続けてるんですよね。
役名で呼び合っているし。
しかも、麻真が「私」って自分のことを言った直後の一人称が「オレ」だったの
引っかかったんです。
台詞を台詞として言った後の、「オレ」。
この辺りが芝居(ゲネプロ)と現実が入り混じっている、からの
我に返って仕切り直しからの本番だった
と自分が感じている理由のひとつかな。

 

ステージとカテコの違和感

床にビニールが敷かれているのが違和感あるので、
血糊の為、本番前に汚さない為、かなぁと。
と言いつつ、舞台で血糊は使わないしその辺りも微妙なところではある。
ラストで服も切れたままだったし。

それんしいても殺陣のシーンは本当に圧巻だった。
真剣だと思って見ているから、切れるシーンでその度に
一瞬目を瞑っちゃうしひぃって叫びそうになった。
焼野の死ぬシーンは脚本では飛び降りだったのを現場で急遽変更になったそうで、
話的にはやっぱり飛び降りの方が良かったなぁと残念に思う反面
血糊がちゃんとぷしゃーじゃなくぴゅっぴゅってなってて
リアルにしてるなーと思いました。

PG12だったけれど、あれが全部本物の血で全員死にましたオチだったら
R-15でも可笑しくない内容ではというメタ推理もある。

それに、蘇我は兎も角山井がカテコに参加しないのは確かに可笑しい。
妖精という役柄上、ひとり違うところで手を振って終わりでも演出としては
比較的ありがちだし、絶対可笑しいとも言い切れないとも思ってはいる。
ゲネプロ中、パック(山井)がオベロン(蘇我)に中指を立てるシーンがあったのに
ラストは蘇我の隣でにこにこ、というのもゲネプロが事実だったら矛盾だと思うのだ。
やっぱりここは、計画がうまくいって最高の舞台が作れた! だと思いたい。

カテコの時、ステージ上の6人の表情も気になるところ。
なんとも言えない表情だったと思うんだけど、焼野って笑顔でした?
麻真もお目目くりくりで、満足そうな表情に見えたんだよな。
Twitterでどなたかが、誰だかの表情が監督の意図とは違ったけど
本人の解釈に任せたみたいなのを書いてらした気がするんだけど
探しても見つけられなかった。
なので本当のところどうなのかわからないものの、やり切った満足な表情
に思えたんだよね。だから、本番が成功したか、ゲネプロ★7が成功した、
というラストなんだと思ったんだ。

 

そもそも蘇我は本当に死んだのか

正式発表はされていないのでは

陣内が「蘇我ってほんとに死んだんですか」って言っていたし、
麻真も「なんでオレたち葬式に呼ばれなかったんだろう」って言ってるじゃないですか。
見ていてもまぁ、蘇我生きてるんじゃないの? ってのは思ったけど
死んでて、お葬式に呼ばれないのは変だし、結婚式と違ってお葬式は
呼ばれて無くても行けるでしょう。密葬とかなら兎も角。
行けなくてもお墓参りとかお仏壇に挨拶させてもらうとか色々あると思うんですよね。

制作発表生配信のコメを見ていると、
レジェンズの内容は殺し合いというのはファンは知っているし
蘇我さんの話がでない、なぜ急死したのか、本当なのか、冗談かと思った、
実は生きてるのではって感じなのがちょっと引っかかるんだよなぁ。
著名人が亡くなったら正式発表とかお葬式の様子とか遺族の様子とか
報道されるでしょう、普通。で、冗談だと思うってことは無いよね。
つまり、正式発表では無さそうかなと。

 

コストが見合わないのでは

蘇我が山井を入れて画策した訳だけれど、
そんなに切望したREAL LIVEをたった一回成功させる為に全て捨ててることになるから
コストが釣り合わない、というのも、クライマックスで全員死んでいないのでは
という根拠のひとつ。
散々画策しておいてたった一回で蘇我は満足するのか? という疑問な訳です。

もし蘇我が山井に託した後に死んだ、カテコのは幻説だと
事故などの蘇我の意思ではない不慮の死である場合を除き
折角画策したのにその舞台を見届けないのはあり得ないと思う。

いろんな小さなトラブル、たとえばアルフレッドがなくなったとか
稽古期間中に別の仕事を入れてしまったとか
そういったことも全部蘇我の考えで、スタッフもグルだった可能性もあって
リアルな舞台を作るための策略だった、というなら
失踪した程度にした方が辻褄合わせ安くて良かったんじゃないのかなぁと思うんだけど。
ただそうなるとほんと、ただの治安の悪いリアフェなんだよなぁ。

 

台詞から思ったこと

クライマックスシーンで、
演出家は本番には口出してできない、役者が自由にできる、
あいつは死んだも同然
という台詞がある以上、つまり演出家である蘇我は生きていると思う。

「この状況をつくったのはハムレット」
「お前(芥川)が最後の砦だったのに」
の台詞も気になっていて、陣内は蘇我サイドの人間だったはずが
蘇我は山井を用意していた説も考えられる気がする。
蘇我が脚本に噛んでいて、今回それがないから脚本がつまらない
っていうのを「じゃあ俺が書く」で書けている陣内ってかなり優秀過ぎる。

わざわざ蘇我からのLINEで「REAL LIVEが見たい」という言葉が使われいたし
初演でリアルな舞台を狙ったつもりが思うようにできなくて
いつかリアルな芝居を作りたいと蘇我はずっと思って動いてきたのだろうと。

 

蜘蛛のモチーフについて

蘇我のしているペンダントは蜘蛛のモチーフだった。
蜘蛛の、巣を張って獲物を絡め取るイメージもあるかもしれないけど
本来蜘蛛は縁起が良いモチーフ。
幸運や夢を掴むとか、神秘的なものとして使われることが多い。
ギリシア神話でも太陽とか運命の紡ぎ手、太陽の象徴を意味することもあります。
シェイクスピアにも蜘蛛の糸は何度か登場しますが、
おどろおどろしいイメージでは描かれていません。

だったら、劇団員に嘘をついて手のひらで転がしていた蘇我は
それだけで裏切りをしていたと言えるけれど
劇団員の命まで取っていたら完全に悪人になっちゃうし
そうではあって欲しくないなと。
ここに持ってくるようにメンバーを唆していたこと全てが、
歌がうまいとか料理がうまいとかそういったことが全部嘘で
芝居の為に全員死ねと思っていたなんて思いたくないんだよな。

 

疑問が残ったこと

なぜゲネプロだったのか

Show must go onとはよく言われるが、ゲネプロで事故が起きたら当然止めるはずだし
止められる訳で。
ゲネプロではなく本番だった方がまだ理解できたと思ってしまった。
舞台に演出家は口を出せないという台詞は確かに!と思ったものの
尚の事ゲネプロでなければいけない意味は無い。
つまりいつの間にか本番に切り替わっているぞという種明かしの表現なのだろうか
というのも、ラストの解釈が本番だと思う理由。

ゲネプロまであと何日、というテロップの後ろでどんどん解体が進んでいくのを
素直に取るなら劇団が終わるまであと何日、になるし
あのラストは全員死んでると受け取るのに無理はないとも思うんだけれど。

 

蘇我はオベロンなのかシェイクスピアなのか

劇中劇でオーベロンとして話していたかと思えば
シェイクスピアの名前が出てくるのでどんでん返しがあるかと思ったが
蘇我が入れた山井、という二人以上の人間は答えとして出て来ない。

蘇我の顔は結局最後まで明かされないのもわざとらしさを感じたし
アテレコ感が浮きまくりだったのも気になった。
顔を明かさないのは好みで別に良い気もするけど
なんであんなにわざとらしくしてあったんだろう。

蘇我が行方不明程度にしておいたら実は良い芝居を見たかったからなんです、
というのも納得できたし、
蘇我を出馬させるために舞台大成功敏腕プロデューサーの肩書をつけさせようと
竹中さん演じる渋谷氏が暗躍していたとか
踊らされているように見えて陣内が黒幕のシェイクスピアでしたとか
もうちょっと現実的に筋が通っている部分があったら全体の説得力が上がったと思う。

企画・プロデュースが松田さんなので仕方ないと言えば仕方ないが、
結局キャストもスタッフもいつメン。
折角堤監督だし竹中直人さんなど有名役者を呼んでいるのに
正直竹中さんの役どころも思わせぶりなだけでもう一声という感じ。
メインに若手役者で脇役に大御所役者を配置し、
人気役者のスケジュール上短期間で一気にやるというのもいつものやり口で、
そのせいで、折角役者は実力派揃いなのに安っぽくB級に見えてしまっていると思う。
監督目当てで2.5の知識はない観客から
キャストありき、好きな役者が出ていればなんでもいいファンが高評価をつけるだけの映画
と評価されているのを見かけるが
残念だが言われても仕方ない部分はあるとも思ったので
その点非常に惜しいし悔しく、面白かったと言い切れないのが残念。

 

麻真皐月(リア)について

基本的に佐藤流司さん目当てで観に行ったので特筆して置きたいのだけれど
麻真の役作りの持って行き方最高でしたね。
劇中劇を演じる麻真が先にあって、じゃあ普段の麻真はどんな人なのか
という順で役作りをしていったそうだけれど
ワガママ俺様系実力派歌手という基本設定から
大抵の人が連想しそうな麻真皐月像を
軽やかに裏切ってくれたところが気持ちよかった。
甘めで可愛い感じもありつつ我儘でしっかりしていて、
創作に関するプライドが高いクリエイター気質な感じがとても良く表現されていた。

ヒナコとも恋愛関係の対立というより、良き仕事仲間、歌になくてはならない相棒
として大事に思っていて、そんな彼女に軽々しく手を出す焼野にに立腹
という感じだったのも良かった。

クライマックスシーンの本気さ、髪型がどんどん崩れていく感じも良かったですよね。
死んでいるシーンで彼だけ目を見開いたまま死んでいるところ、うわーと思いました。
流石だ。
単純に長時間目を開けたままにできるのがすごいし、
死んでも死にきれない無念が表現されていて、いずれにせよ技術が素晴らしい。

やっぱり天才なんだよなぁ。
努力して天才になった人。

もしディレクターズカット版なんかがあって
自分がもやっとしたところがそこには含まれていて
ミステリーとしても完璧やん!ってなったら嬉しいなぁ。
そういう、2.5好き以外からも手放しで素晴らしいと思われるものに、
流司くんにはどんどん出て欲しい。