何度も書いていることだが、
阿津賀志から加州だけ残ってしかも幕末刀、
その次は阿津賀志から石切丸が戻ってきて
新刃ばかりだが実力派の中堅役者を引っ張り、
阿津賀志から加州と石切丸を除いた四人に新刃二振、
幕末から加州以外の新選組刀に新刃二振、
ここまでの流れは非常に良かった。
あおさくも三百年の村正二振を残しての四振、
パライソも先輩二振が残っていたが、これ以降
新刃の割合が多過ぎる。
ニトロプラスから出す刀を指示されることもあると
聞いたこともあるし大人の事情もあるのだろうが
感情移入が薄い新刃ばかりでよその本丸を見ている気持ちになる。
そして伊達双騎の感想でも書いたが
勿論使ってはいけないというルールはないが
同じ刀剣乱舞シリーズである刀ステで吉田東洋を演じた唐橋さんをミュでも虎哉宗乙・支倉常長として起用。
更に今度は本阿弥光徳役として起用したのは何故なのか。
唐橋さんは好きな役者さんではあるが、
他にも役者はいるのに何故被らせるのか。
カゲを客演ではなくアンサンブルさんにやらせるのもなぜなのだろう。
刀ステの悲伝の鵺に近い役どころだと思うのだが。
刀ミュは度々あるが、お眼鏡など台詞のアクセントが可笑しい。
演出家が直さないのは何故だろう。
滑舌やアクセントの問題で聞き取れず
シークバーを戻してしまったところも何度かあった。
劇場へ行っていたらわからないまま見ているしかなかっただろう。
一時間も見たところで流石に感情移入できる刀も出てくるが
殺陣がどうしてももたもたして見える。
けして俳優さんが下手という話ではない。
一蓮でも蜂須賀と加州のやられた時の動き方が
非常に不自然で引っかかったのだが、今回も一期が
相手はその場で倒れているのにわざわざ段差を駆け上ってから座り込むのが非常に違和感がある。
一期が偽物にされてしまう展開は面白い。
小竜や鬼丸が本阿弥に働きかけるところや
カゲが引きつった笑いだと言われて練習しているところも良かった。
起きている事象に対して仲間たちの動揺が少なく感じてしまった。
守るべき歴史の中に、一期一振の真贋は関係ないということか。
もっと焦って引き戻そうとするのが普通では。
最後の最後まで引っ張ることになるとは。
鶴松の死に待ちでこうなったように思えてしまう。
一期が戻ってこられたのは何故なのか。長谷部のお蔭?
そこまで強い絆がこの本丸の長谷部と一期にはあるのか?
それにこれまで歴史を守るために人を殺すことになった刀剣男士はみんな泣くほどの葛藤を経ている。
一期は違うのか?
近年の刀ミュを見る度抱く感想はほぼ同じだ。
俳優さんはみんな良い。
しかしこの編成である必要性がわからない。
今回も一期一振が主役なのかという内容だったが
この刀剣男士でなければならない理由が無い。
そしてそれぞれの見せ場が無い。偏りがある。
だからこそ余計にこの編成である意味は?と思ってしまう。
出陣して帰ってきて得られたものも見えてこない。
これまでの刀ミュにはあったものだ。
成長、刀剣男士という存在の意味、本丸の謎。
歴史上の人物の描写も薄いので感情移入ができないし
歴史に詳しくないとあまり理解できないと思う。
人間の生き様、それに対して思い入れてしまう刀剣男士、そして観客。
これもこれまでの刀ミュにあって今は無いものだ。
これではこの人のいるこの歴史を守りたい
もしくは守りたいのにできないという強い気持ちよりも
任務をこなすということだけが残ってしまう。
ストーリーに意外性も無い。
カゲが出てきた時点で誰もが予想するストーリーに帰結するのみ。
思い入れがいまいちできないままだった本阿弥光徳の物語ではあったが
刀剣男士の物語だっただろうか。
ゲームをやっている者なら思い入れのある聚楽第も
特にこれといって何も感じられない。
『わかりやすい』本にしたことで、これまでの舞台好きの観客からは浅いものにしか感じられなくなった。
脚本家が変わっただけで演出家は変わっていないのにこの変わり様ということは
もう刀ミュはそういう方針であり
伊藤さんはそういう方針始め諸々についていけなくなったし
伊藤さんの本が好きだった私のような人間は
刀ミュ運営の顧客ではなくなったのかもしれない。
今回アマプラで無料だったので重い腰をあげて見たが
刀ミュは毎回楽しみにしていたコンテンツではなく
推しが出ている時だけ人質に取られているから
仕方無く見るコンテンツになったのだろう、自分にとっては。
あんなに好きなコンテンツだったのに、寂しい。
阿津賀志から加州だけ残ってしかも幕末刀、
その次は阿津賀志から石切丸が戻ってきて
新刃ばかりだが実力派の中堅役者を引っ張り、
阿津賀志から加州と石切丸を除いた四人に新刃二振、
幕末から加州以外の新選組刀に新刃二振、
ここまでの流れは非常に良かった。
あおさくも三百年の村正二振を残しての四振、
パライソも先輩二振が残っていたが、これ以降
新刃の割合が多過ぎる。
ニトロプラスから出す刀を指示されることもあると
聞いたこともあるし大人の事情もあるのだろうが
感情移入が薄い新刃ばかりでよその本丸を見ている気持ちになる。
そして伊達双騎の感想でも書いたが
勿論使ってはいけないというルールはないが
同じ刀剣乱舞シリーズである刀ステで吉田東洋を演じた唐橋さんをミュでも虎哉宗乙・支倉常長として起用。
更に今度は本阿弥光徳役として起用したのは何故なのか。
唐橋さんは好きな役者さんではあるが、
他にも役者はいるのに何故被らせるのか。
カゲを客演ではなくアンサンブルさんにやらせるのもなぜなのだろう。
刀ステの悲伝の鵺に近い役どころだと思うのだが。
刀ミュは度々あるが、お眼鏡など台詞のアクセントが可笑しい。
演出家が直さないのは何故だろう。
滑舌やアクセントの問題で聞き取れず
シークバーを戻してしまったところも何度かあった。
劇場へ行っていたらわからないまま見ているしかなかっただろう。
一時間も見たところで流石に感情移入できる刀も出てくるが
殺陣がどうしてももたもたして見える。
けして俳優さんが下手という話ではない。
一蓮でも蜂須賀と加州のやられた時の動き方が
非常に不自然で引っかかったのだが、今回も一期が
相手はその場で倒れているのにわざわざ段差を駆け上ってから座り込むのが非常に違和感がある。
一期が偽物にされてしまう展開は面白い。
小竜や鬼丸が本阿弥に働きかけるところや
カゲが引きつった笑いだと言われて練習しているところも良かった。
起きている事象に対して仲間たちの動揺が少なく感じてしまった。
守るべき歴史の中に、一期一振の真贋は関係ないということか。
もっと焦って引き戻そうとするのが普通では。
最後の最後まで引っ張ることになるとは。
鶴松の死に待ちでこうなったように思えてしまう。
一期が戻ってこられたのは何故なのか。長谷部のお蔭?
そこまで強い絆がこの本丸の長谷部と一期にはあるのか?
それにこれまで歴史を守るために人を殺すことになった刀剣男士はみんな泣くほどの葛藤を経ている。
一期は違うのか?
近年の刀ミュを見る度抱く感想はほぼ同じだ。
俳優さんはみんな良い。
しかしこの編成である必要性がわからない。
今回も一期一振が主役なのかという内容だったが
この刀剣男士でなければならない理由が無い。
そしてそれぞれの見せ場が無い。偏りがある。
だからこそ余計にこの編成である意味は?と思ってしまう。
出陣して帰ってきて得られたものも見えてこない。
これまでの刀ミュにはあったものだ。
成長、刀剣男士という存在の意味、本丸の謎。
歴史上の人物の描写も薄いので感情移入ができないし
歴史に詳しくないとあまり理解できないと思う。
人間の生き様、それに対して思い入れてしまう刀剣男士、そして観客。
これもこれまでの刀ミュにあって今は無いものだ。
これではこの人のいるこの歴史を守りたい
もしくは守りたいのにできないという強い気持ちよりも
任務をこなすということだけが残ってしまう。
ストーリーに意外性も無い。
カゲが出てきた時点で誰もが予想するストーリーに帰結するのみ。
思い入れがいまいちできないままだった本阿弥光徳の物語ではあったが
刀剣男士の物語だっただろうか。
ゲームをやっている者なら思い入れのある聚楽第も
特にこれといって何も感じられない。
『わかりやすい』本にしたことで、これまでの舞台好きの観客からは浅いものにしか感じられなくなった。
脚本家が変わっただけで演出家は変わっていないのにこの変わり様ということは
もう刀ミュはそういう方針であり
伊藤さんはそういう方針始め諸々についていけなくなったし
伊藤さんの本が好きだった私のような人間は
刀ミュ運営の顧客ではなくなったのかもしれない。
今回アマプラで無料だったので重い腰をあげて見たが
刀ミュは毎回楽しみにしていたコンテンツではなく
推しが出ている時だけ人質に取られているから
仕方無く見るコンテンツになったのだろう、自分にとっては。
あんなに好きなコンテンツだったのに、寂しい。
