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データえっせい: 日本の生徒の対教師関係

 しかるに,日本のイレギュラー性は際立っており,左下の極地にあります。教師の言うことを聞く生徒は多いが,その一方で,教師と良好な関係にある生徒は少ない。変わった社会です。

 マートン流にいうと,わが国の生徒は教師に対して「儀礼的」な戦略をとっている,ということでしょうか。勉強に興味持てないし,本当はウザイ先生の言うことなんて聞きたくないけど,成績に響いたり退学になったりしたら困るので仕方なく・・・。こんな感じです。

 マートンは,文化的目標にコミットメントしておらずとも,そのための制度的手段は(やむなく)承認するような適応様式を「儀礼型」と名づけました。日本の生徒に則していうと,勉強して偉くなろうとは思わないけど,学校をきちんと出ないと落伍者の烙印を押されてしまう,という強迫に突き動かされている人間類型です。上図の結果は,こういう生徒が教室に多くいることを示唆しています。

 こうした儀礼型人間について,マートンは原著で次のように述べています。「外部から観察すると,本人は,謙虚で思慮分別があり,見栄をはらない。自発的な自己抑制によって,彼は,自分の目的や大望を制限し,冒険や危険に伴う快楽をすべて拒絶する」(森東吾訳『社会理論と社会構造』みすず書房,1961年,171頁)。なるほど。日本の生徒と重なり合う面が強いですね。

 このような形だけの儀礼的戦略を幼い頃から行使し続けることで,どういう人格形成がなされるでしょうか。おそらくは,自分の頭で考えることをせず,機械的に周囲に合わせるだけの付和雷同人間ができ上がることでしょう。過剰適応型人間といってもよいかもしれません。わが国の企業社会は,こういう人間類型によって支えられている側面があります。