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あらためて、この石巻市の状況を見てみると、「津波に強い街づくり」などと新たな発想をする前に、未だ人口が少なかった昔は、何所にどのように住んでいたのか、昔の人の知恵を、もう一度、掘り起こして見るべきではないかと考えざるを得ない。日和山の麓に住む77歳の古老は、「住んじゃいけない所に住んで居たんだよ。あそこは、昔、もともと海だったんだ。海は、海の都合で支配される。海とケンカしても勝てないよ」と一人でボソボソ呟いていた。

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 文庫本1冊を3年間かけて読み込む授業を行なう伝説の国語教師がいた。生涯心の糧となるような教材で
授業がしたい、その思いは公立校の滑り止めに過ぎなかった灘校を、全国一の進学校に導き、数多のリーダーを
生み出すことになった――。

 教師は、文庫本の一節を朗読すると、柔らかな笑顔を浮かべ紙袋を取り出した。生徒たちは、今日は何が
出てくるのか、と目を輝かせる。出てきたのは赤や青、色とりどりの駄菓子だった。

 教師は、配り終わると教室を制するようにいった。

「もういっぺんこの部分を読みます。食べながらでいいので聞いてください」

 読み上げたのは主人公が駄菓子屋で飴を食べる場面。

〈青や赤の縞になったのをこっきり噛み折って吸ってみると――〉

 生徒の一人はこう呟く。

「普通なら飴を噛み折る音って『ぽきん』『ぱきん』だけど、確かに『こっきり』のほうが優しくて甘い味の感じが
でているなあ……」

 灘校を東大合格者数日本一に導いた「銀の匙」教室の授業風景である。教科書は一切使わない
国語の授業。文庫本『銀の匙』(中勘助)1冊を横道に逸れながら中学3年間かけて読み込む。

 前例なき授業を進めたのは橋本武先生、御年98歳。50年間教鞭を執り、昭和59年に同校を去った。
橋本先生が退職して27年を経た。だが、今も「銀の匙」教室は、伝説の授業として語り草となっている。

 では、橋本先生が生徒たちに植え付けたものとは? 橋本先生はこう語っていた。

「“学ぶ力の背骨”です。国語力のあるなしで、他の教科の理解度も違う。数学でも物理でも、深く踏み込んで、
テーマの神髄に近づいていこうとする力こそが国語力です。それは“生きる力”と置き換えてもいい」

 教科書を使わない、一つの言葉につき脱線する授業に生徒の戸惑いがなかったといえば嘘になる。
あるとき生徒はこんな質問をした。

「先生、このペースだと200ページ、終わらないんじゃないですか」

 橋本先生は教室を見渡した後、静かな口調でいった。

「スピードが大事なんじゃない。すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなります。何でもいい、少しでも興味を
もったことから気持ちを起こしていって、どんどん自分で掘り下げてほしい。そうやって自分で見つけたことは
君たちの一生の財産になります。そのことはいつか分かりますから」

 言い終わると、頬を緩め、再びプリントを配り始めた。

 東大総長・濱田純一氏は、このとき教室にいた生徒の一人だ。いつか分かりますから――その言葉通り
橋本先生の教えを財産にしている。

「改めて素晴らしい授業だったんだなぁと。僕らが大学で原書講読をやる時のやり方と似ています。一つの
言葉に拘ることでその背後に広がる概念や感覚や考え方と繋がってくるわけです」

※週刊ポスト2011年3月4日号

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最近の実験データでは
現実世界でも腐海の植物のように

核物質を分解してしまう連中がいることが判明してる
わずか20年で1万年必要だったプルトニウムの半分がどこかに行った理由を調べた時
ロシアは驚愕した

おぞましい量の放射性物質を食べて別の物質に変換する細菌と
同じ効果を持つ細胞を持った植物がウクライナに根付いてたんだ
彼らは、恐ろしい量の放射線を浴びながらも死にそうになりながら生きて放射性物質を分解し
別の物質に変換しつつ、大量の放射線を地中から吸収しては枯れていく

その繰り返しが20年行われた結果「半減期1万年」だったはずのプルトニウムの約半分が
何時の間にか「半減期30年」といわれるセシウムや鉛に変換されていた
たった20年で予想を上回る速さで土壌が改善されている背景には
適応力によって適応した植物の力があった

だが、それだけじゃないんじゃないかと、「あの地域に生きている昆虫は?」って話も出てる
あんな悲惨な地域でありながら、植物が育って花をつけるということは
その手伝いを担う昆虫にも対放射線能力か、同じような力があるんじゃないかと

ま、そんな話を聞くとナウシカを想像しちまうな