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昨日車の中でランダム再生で『矛盾という名の蕾』流れた時話してたんだけど

あの間に台詞が挟まって感情の高まりや重要な部分を歌う感じ
すごくミュージカルっぽくて好きだった。
最近ああいう感じのないよね。

陸奥一蓮、歌うまさん多いから聴かせるけど、
曲自体が好きなの有るかって言ったら私そうでもないんだよなー。
耳には残るけどこの曲好き!ってのがない。
今までは1曲は絶対あったんだけど。

演劇って芝居の上手い役者は勿論大事で。
板の上に立つだけで人目を惹きつけ、一言の台詞で世界観に引き込むような。(推しくんのこの能力の高さは本当に凄いと思っている)
でも本が面白いと、ある程度上手い人を揃えたら
誰がやってもきっちり面白いのも演劇。
更に演出家が変わるとまた別物に変わるのも面白いところ。
どれかが突出してても一応見られるんだけど、全てが噛み合った時の
相乗効果が楽しいんだよね。
だから再演で役者が変わっても、脚本家が変わって同じ役者でも
面白そうって思って色んな芝居観に行ってた訳。

今の刀ミュは役者の力に依る所が大きく感じてしまうんだよね。
申し訳ないけど、陸奥一蓮の本を別の役者が演じても
私は多分面白いと思えない。
そこに危機感みたいなものを感じてしまうのよ。

正直、あの恰好した彼らが延々とお喋りしてるだけでも
おたくは楽しめてしまうでしょ。2部のわちゃわちゃみたいなの。
彼らが役を生きてくれてるからなんの違和感も無いから。
けどそれだけだとエンタメにはなっても演劇にはならない。
本の面白さと演出の凄みがあってこそな訳で。

陸奥一蓮面白いけど、どこが面白かったか切り分けて考えると
結局役者がすごい、なんだよね。
役者の解釈とか演技とかアドリブがすごい、なのよ。
つけられた殺陣じゃなく役者が考えて付け加えた部分に感嘆しているんだ。
お話と演出にはモヤモヤしてる。演出に関してはすごいと思うところもあるんだけど。
単に好みの違いと言われたらそれまでなんだけど
前のミュはお話も好きだったんだけどな、ってのが余計モヤモヤする訳で。
前の話だって勿論、全肯定じゃなくてここ可笑しいって思うところはあったけど
なるほどこの設定はすごい、この台詞を言わせたのはすごい
みたいなのがあったから。

本が好きじゃなくても好きな演出家だとか
好きな役者が出てるとなると観に行くけど、
逆に言うと推しが出てないと行かなくなっちゃうんだよな。
かのゆきまでずっと推しが出てなくても追って来たんだけど、
今のところ花影を見る気になれないしこの先推しが出てないと
見ないコンテンツになりそうだなと思っている。

刀ミュが今どこへ行こうとしてるのかちょっとわからないかもって思ってる。
髭切膝丸 双騎出陣の時は若い子にも日本文化をみたいな気合は見えてたけど
今ってどういう方針なんだろう。

陸奥一蓮は歴史の「史実」「事実」「真実」を分けるって言ってた割に
人間サイドの物語ってあれだけでしょ。出番は多くても見せ場ないし。
史実として伝わってる数少ない情報が羅列されてはいたけど
それだけに見えてしまった。

チケの本人確認は導入しなくて一人で毎日のようにはいる人もいれば
全落ちしたって人もいる謎な中
ランダム商法もそうだし客単価を上げることとリピーターは重要視してるけど
演劇として裾野を広げることはあんまり考えてないのかなって。

刀ミュ始まった年に出演して、次の再演除く本公演出演が
すえひろがり八周年、って言った翌年って長過ぎだし。
シリーズ物なのに何年も話進まないって可笑しいでしょ。
もし36公演の数を稼ぐ為の再演で物語的には特に意味なかったとしたらどうしよう。

相方連れてってみて
話が浅い、長い、人の拍手で終わったって分かるだけで締まり方もはっきりしない
みたいな感想聞いてやっぱりそう思うよねって思っちゃったし
終幕が見ててわかんないの演劇としてどうなのよと。
話が浅いのはどうにも致命的だと思うのよ。

とは言えもう今の演劇ってこうなってきちゃってるんだろうな。
役者の人気頼みになりがちだし
そこに文句言う人ほど面白い本書けてない。
大手じゃないと情報も無いし相当芝居好きじゃないと見に行かなくてお客さん集められない。
大手でもチケット高いのに本は面白くない、ステージが見えない、音響最悪
みたいな。
演劇自体がもう先細るしかないのかなってちょっと思っている。

今業界で偉い人たちは結構このタイプもまだ多いから
こういう人たちが引退したら変わるんだろうか。
あんまりアップデートができにくい業界って印象は残念ながらあるのだけど。

それを言ったら日本全体がそうではあるのよね。
難しいなぁ。