悪気のない言葉、そこまでではないけれどちょっと不愉快なもやもやちりちりすること。
旦那さんと暮らした日々だって楽しい事だけではない。でも、亡くなってしまったら良い思い出にばかりなっていく。
自由に『させてもらった』方だけれど、旦那さんが生きていたらうみ子さんは映画を撮ろうとはしていなかった。
奥さんという立ち位置があったし、そこに収まるのが楽でもあった。
枠の中から出るのは、やはり荒波に船を出すことだ。しかし出さねば景色は変わらない。

法事をしていると聞いてわざわざ高尾まで来てくれて、お墓参りもする海くんは本当に律儀。
お互いがちゃんと映画に対して真剣で、相乗効果があるのが良い。
うみ子さんが書き直した脚本を無遠慮に読むけれど、笑顔で手伝いたいという言葉が出てくるような
裏表の無さがソラの魅力なのだろう。

海くんの気持ちは痛いほど分かるが、大人数が揃えば
プロならまだしも学生たちで同じ方向を同じ真剣さで
向くことは難しい。
怖い監督の下で最高のパフォーマンスが出せないからコスパが悪くなる、という意見は納得。
さらなる大海原へ。背中を押す風。本当に素敵な表現。

求められる以上のことを返すのが当たり前と思っている人しかいない。
それがプロ。
「物語」を人は応援したくなる、という言葉も印象的。

海くんにとって監禁されるかも、と思って何より大事なのが映画の撮影データで、それを託したいと思うのがうみ子なのがすごく真っ直ぐで透明な重みを感じる。
言いたい事があるなら言えと言いながら全く話を聞こうとしない父親。案の定だ。
母親は黙ったままなのかと思ったので少し意外だった。
もし認められたら。応援してもらえたら。
期待して何が悪い、と思う。
泣く海くんを変に慰めるのではなく、
「私たちは映画を撮っている限り強い」
の言葉は仲間であり海くんを肯定しているうみ子さんだからこそ言える言葉だろう。
情けないあなたは魅力的だしとっても映画的。
夜の海を散歩しながらのこの台詞も映画的で強くて美しい。

時間をかければ良いものができるわけじゃない。
けど時間もすべて映画にかけたい。

ソラが映画を見た感想を「イライラする」と表現するのが
とてもらしいなと思う。
面白い物を見た後イライラしたり走り出したい気持ちになったり編集作業したり
それは自分が受け取るだけの側の人間ではないからだろう。
うみ子さん、やはり無理がたたってしまったか。
でも、無理をするなというのも何か違う気がする。

番外編で映画を撮るようになって人に見せるために何かを作る時
自分が何故それを作るのか、つまり自分が何が好きなのかを考えないといけないと思ったというのが好きだ。
更に突き詰めると、自分はなんなのかに辿り着く。
みんな本気で映画が好きなのが羨ましいし、こういう環境にいたらそれはうみ子さんも、頑張りたいと思ってしまうだろうなと思った。