ネタバレあり

将棋の真剣勝負の描写が美しくもひりひりする。
敗着の駒から手を離す時指の表面を引きはがすような感覚があった
のような表現が本当に秀逸だ。

感想戦で手を見る零ちゃんに、そういうものだよ、と言う宗谷名人。
何も言わないのにわかりあえている2人。
静かで明るくて何もこわくない所にいた というのが
真剣勝負で敵同士だけれどこれ以上無い理解者同士でもあることがよく分かる。

台風という日常から少しはみ出した最中の出来事でもあり
対戦した相手、しかも自分より格上の人と行動をともにするまるで夢を見ているようなエピソードがとても好きだ。

僕のあとを静かに神様がついて来る
現実感が無かった。でも不思議な高揚感があった
という表現が素晴らしい。
宗谷名人が零ちゃんの分まで会計を済ませてもう先にチェックアウトしていて
ホテルを探す時もそうだけれど、そういうところはちゃんと大人な振る舞いで。
そうしたことと相まって
青い空が嘘みたいで昨日までの嵐が夢の中のように遠く
現実感がなくなっていく感覚がある。

島田さんが零ちゃんに、
「楽しかったろ?宗谷との対局。また会いたくなるだろ?盤の前で」
と言ってくれるのが良かった。
自分も棋士だからこそ言える言葉だと思う。

読者としてはもちろん島田さんを応援しているけれど
柳原さんに降り積もる襷の数々 の描写で柳原さんの背負うものを知り、単純に島田さんに買って欲しいと
思えなくなってしまう。

頑張っている人に降格したら引退するのかとか
いつまでA級にいられると思いますかとか
質問を投げかけることがもう無礼だと思うのだが
メディアというのはどの業界でもこんなものだろうし
悪気もないのだろう。

柳原さんがふと負けるかもしれないと思った時に
わからんがこれは俺が絶対に手離しちゃいけねぇもんだ
オレが担いで届けるものだ
精一杯頑張った人間が最後に辿り着く場所が
焼野ヶ原なんかであってたまるものか
と必死の形相でくらいつくところの迫力に圧倒される。
棋士としての力だけでなく、人生の重みなのだと思う。

時が経てば焼け野原も一面の緑になる、それを一緒に見るんだ。
一緒に、というのが簡単なようで難しく
しかし重要なところだ。
そしてそうまでして進んでいく人の姿は、見ている人にとって自分も頑張ろうという力になる。

タスキは期待であり重いからこそ、
恐怖から逃げ出せないようにもしてくれていたというのは
きついけれど力にもなる、不思議なものだなと思う。
来年はもう無理だろうな、というの去年も言ってた
というのもまた面白い。
喉元過ぎればというが、こんなに辛い思いをして
もう駄目だろうと思っても、その場になったら踏ん張って
必死で食らいついてくのだろう。
あまりにも恰好良かった。

お祭りのお話は可愛かったし、零ちゃんがきっちり借り出されているところも良かったけれど
ちほちゃんがまだ辛いのが当然でありつつとても悲しいエピソードでもあった。
こんなにも人の心をめちゃくちゃにしてしまうことなのい
ちほちゃんはしなくてもいい辛い思いをしている。
でもだからこそこうならなければできなかっただろう
梅シロップを作るとかそんな経験もしつつ
いつかひなちゃんとお祭りを回ったり、一緒に甘味を売ったりできるようになったら良いなと思う。