配信で観劇した感想を残しておこうと思います。

 

今回の話を踏まえて刀ミュについて思ったこと

ゲームの舞台化の魅力

自分は、ゲームは実は当初あまり身を入れてやっていなかったんですよね。
取り敢えず手を出しておこうと思って出しただけという感じで、
今こんなに嵌っているのが嘘だろう、というくらい
ちょっと引いたところから見ながらやっている感じで。

以前、刀ミュで加州清光を演じている佐藤流司さんが

舞台を見るとゲームの楽しみ方も変わるし、
ゲームを自分の中でいろいろ補完していくうちに
逆に舞台の見方も変わってきて永遠に楽しめる

という趣旨のことを仰っていたんですが、自分の場合は正にこれで。
舞台を見て、役者さんが演じてくれる動いている男士たちが
ゲームの台詞と立ち絵しかなかった余白を埋めてくれたんです。
それまでゲームしていてなんとも思っていなかった男士に魅力を感じ
ぞっこんになってしまうパターンが多数勃発したわけで。

千子村正もその一人。
正直本丸に村正が来たときには変な濃い人来たなぁくらいだったんですが(苦笑)
太田基裕さんの演じてくれる村正の、妖しさ、美しさ。
恰好良いんですよね。

舞台を見に行った人たちのネタバレなし感想で、
相当衝撃の内容というのは感じていました。
それから、太田さんのツイッターなどを見ていて辛そうな感じがして
心配もしていました。
実際大千秋楽当日生配信を観ていて、あまりの緊張感に
何度も休憩を挟みたい、席を立ちたいと思うほどで
成程、こういうことかと納得。
村正の様子にすっかり揺さぶられました。

 

舞台装置について

回り舞台の使い方が恰好良かったです。
常々2.5とストレートの垣根を取り払いたいという趣旨のことを
スタッフさんやキャストさんも仰っていますが
多分まだまだストレート>2.5のイメージを持っている人はいるでしょう。
でもこうした演出はストレートに勝るとも劣らないと思います。
役者さんの素晴らしさは言うに及ばず。

 

 

物語についてネタバレあり感想

村正の人らしい思い

冒頭から、信康の切腹のシーンが描かれます。
秀康の悲痛な叫び。
そして村正が歌うかざぐるま。
歴史上の人物たちが乗った盆が
村正の周りを回る様子が走馬灯のように
思い出が巡っているようで美しくも儚いです。

村正が兎に角美しい。
秀忠が笑顔で葵の花びらを拾う仕草もあります。
この後で秀康は掴めない。無邪気にも残酷な表現ですね。

事前にストーリーについて一切情報を入れずに観たのですが
村正と蜻蛉切の会話で二人がまだみほとせからの
任務中であることを知ります。
あまりにも長い任務。

小山評定が行われたのは慶長5年7月25日と言われています。
石切丸が名乗っていた服部半蔵は慶長元年11月14日に病没。
青江が名乗っていた酒井忠次は慶長元年10月28日死去。
物吉が名乗っている鳥居元忠は作中の台詞にある通り伏見にいますが、
大倶利伽羅である榊原康政は徳川秀忠軍に軍監として従軍しているはずですよね。
脱いだり脱がされたりできない距離にいたんでしたっけ?

村正の「嫌いです」という台詞の言い方が、
長い任務の中で村正がどのような思いを抱いてきたのかという
重みが表現された素晴らしいものでした。
冗談ぽく、手伝ってくれればいいのになどと言いつつも
寂しさや苦しさが滲み出ます。
正直言って、あの村正がここまで思い詰めるほど
信康を、人間を愛してくれていたというのが意外なほどでした。
井伊直政として家康と話しているときは男らしく、
でもそれがまた家康への憎しみを隠して部下として仕える様子ともとれます。

 

新刀剣男士たち

鶴丸国永

多分10人が観たら20人が言っていると思うんですが、素晴らしいですね?!
初めてビジュアルが公開されたとき、可愛い系過ぎるかも?
と思いましたが
台詞と動きがつくと可愛い見た目に反して男ぶりのある、
正に鶴丸でした。
中の人である岡宮来夢さんは21歳だそうで。
トライアルで隊長加州を演った佐藤流司さんも20歳でしたから
刀ミュ界において若すぎるということはないのでしょうが、
それでもその若さで、しかもそんなに舞台経験がある訳ではないそうなのに
頼れる雰囲気の隊長ぶりで恰好良かったです。
歌も上手でした。
意外と好戦的な感じも良かったです。
 

明石国行

仲田博喜さんは岡山出身だそうで。
明石の考察で度々言われるエセ関西弁が絶妙でした。
関東人が使うエセ関西弁ではなくて、
西側の人が使うアクセントはそれなりに可笑しくないのに
ごちゃまぜでどこの方言なのか、という本当に絶妙な加減でした。
意外とやる気あるというか普通に働いてくれる明石さんでしたね。

 

篭手切江

登場シーンでは、あれ、もう2部かな? ってなりました。笑
明石との握手のシーンで、普通握手しようとされたら咄嗟に右手を出すだろうに
篭手切君はあまり違和感なく明石に合わせて左手を出していますね。
観察眼に優れている、とか?
全体的に、思ったより冷静といいますが、多分隊の中でも新参なんでしょうけど
真面目な感じでした。

 

御手杵

ビジュアル発表時にめっちゃ御手杵だと思いましたが
なんというか本当に御手杵ですね?
いや、ミュは全体的にみんなクオリティかなり高いですが。
スタイルがあそこまですらっとしていて、ちょっとぽわんとしていて
すごくいい感じです。

 

握手の話

そもそも握手って明治以降の文化だと思うんですが
刀剣男士たちは知っているんですね。
左手の握手も失礼なものですし。
刀を振っていると両手共に固くなりますし、
重要なのは左手なので、左手が柔らかいとか
左利きだから右手が柔らかいとかいうこともないと思うんで
ちょっと違和感がありました。

 

鶴丸と審神者の会話

鶴丸の台詞。
「それであいつはおとなしくしてるのか」
「なるほど、まあいいさ。舞を一差し献上しよう。
無垢な舞に飢えてるんだろう」
そして、そんな鶴丸に”面倒くさいこと”を頼もうとする審神者。
鶴丸にしか頼めないこと。

この時点でははっきりしないのですが、おとなしくしていないあいつ、とは三日月宗近な訳ですよね。
審神者は何を頼んだのでしょうか。

 

結城秀康

加古臨王さんの秀康、すごかったです。
何が凄いって、もしかしたら多少減らしたり変えたりはあったにしろ
3日で台詞と殺陣を入れてよく代役をやってくれたと思うし
その心意気だけでなくこのクオリティを持ってきてくれるのも凄いです。
反面、こういう話だったのならやはり本当に双子である二葉さんが演じておられたら
よりそっくりな顔云々の設定の説得力も増していただろうと思うと
二葉さんの秀康も観たかったと感じました。

声を幼くして子供の頃の回想をするのは
他の舞台でも観ますし、上手な人の演技ははっとさせられます。
加古臨王さんは勿論素晴らしい役者さんですが、正直
二葉さんとも十歳の年齢差がありますし、
「兄上!」の声や子供の仕草に最初は違和感がありました。
ただ、そこから現在の秀康に「兄上、お待ち下さい兄上、兄上」
と台詞を言いながら変遷する様子は素晴らしかった。
流石でした。
それから、信康が盆に乗って遠くなって消えていく演出も良かったです。

天下を取れなかったことよりも、兄を奪われたことが辛いという
秀康の思いが切ない。

 

秀康との戦い

敵の狙いは結城秀康と聞いて、真っ先に御手杵が台詞は無いものの
動揺していました。
実際結城秀康に見(まみ)えたときも真っ先に反応していて、
村正に死なない程度にやっつけて止めるしかないと言われ
蜻蛉切に「御手杵!」と呼ばれたときも、戸惑いを振り切って
「ああ、心得た」と言うのが短い台詞ながら心情が表されていてすごく良かったです。
ここの槍の連携も見応えがありました。
両手でしっかり持って戦う蜻蛉切と、ぶんぶん振り回す御手杵の
戦い方の違いもあって良かったですよね。

明石が素早く本体はあの刀だと見極めて一人で立ち向かうのも驚きですが
篭手切江がそれを止めてしまうんですよね。
冷静になりなさい、と言った村正ですが、直後に現れた検非違使に
一番心を掻き乱されるのはその村正。
「待っていた」「信康さんの仇」
冒頭に続いて、ああ、村正はそんなにも信康を、と
胸を突かれる言葉です。
とても美しいし、首の動かし方ひとつとっても凄い。
村正が倒れたとき駆け寄る蜻蛉切も、牽制に入る4振も恰好良かった。

 

蜻蛉切と村正の絆

気がついてすぐ「検非違使は」という村正。
「感情に支配されるな、気持ちはわかるがその力は危険だ」
という蜻蛉切。
蜻蛉切がはっきりと石切丸の名前を出しますが、
多分みほとせを観ていた人はみんながみほとせの石切丸を連想したことでしょうね。
「私は彼のようにはなりませんよ」と言う村正。
なれない。石切丸のように気高く美しい心はない、元から穢れているから。
みんなの名前をあげて、強かった、誰かのために戦える者はそれだけ強い、と。
近くにいた蜻蛉切すら、村正の信康への気持ちを「意外だった」と言うんですね。
通りすがりの裸のおじさん(笑)として、
幼かった頃どくぜりや トリカブト を与えて からかっていた、と。
「それだけです」と、どうしてそんなにも切ない言い方ができるのでしょうか。
それなら幼かった信康が石切丸に持ってきたトリカブトは
村正が渡したものだったのでしょうか。

そんな村正に蜻蛉切が「おまえに切れないものはあるか」と訊きます。
「ありません。許せなければ天にもそむきますし、主にも盾突きますよ」。
そんな質問を蜻蛉切がした理由。
覚悟はできていたつもりだが 秀康を切れなかったから。
村正がそんな覚悟はしなくていい、それがあなたの美しさですと言う。
この二人の会話、そして歌。
美しく切なく、二人の絆も感じさせるシーンです。

徳川に向けて刃をふるうのは私の役割だという村正。
この後検非違使がやってきたとき
「私を捨てていきなさい。足手まといにはなりたくないのです」と言う村正に、
「俺がお前をおいて逃げる? 馬鹿馬鹿しい。そのようなこと二度と口にするな。
俺は俺の役割を果たす」と返す蜻蛉切。
これに大して村正も「馬鹿ですね」と返すのですが
この会話もたまりません。

ピンチの3人ですが、ここで謎の男による助けが入ります。
「ついていってみるか!」と鶴丸が言います。
この台詞に限らず、たとえ「このままでは全滅だな」という台詞でも
言葉の響きにわくわくした楽しそうな感じを入れているところがさり気なくすごいです。

あとは、刀ミュで度々出てくる『役割』というキーワードも
気になりました。

 

永見貞愛との出会い

明石が蜻蛉切と篭手切江のミスを指摘しつつ
考えることと悩むことごっちゃにしたらあきまへん という歌詞が好き。
明石らしくおちゃらけてもいるけれど、大事なことです。
出会った時点ではまだはっきりとは語られないことですが、
貞愛が「そうか、なるほど」って言っているのは
刀剣男士だと気がついたということでしょうが、
聞いていた外見と同じだったから?

風体についてはどういう設定なのでしょうね?
あつかしなどを考えると、「面妖な」と言われていますし
あの恰好のままだろうと思うのですが、
それだと今回の任務では
何年も歳も取らない風体のまま老衰するのも無理がありますよね。

貞愛は、
「悪いな、まいたつもりだったんだが。
こいつらの相手はよろしく頼むわ、刀剣男士さんよ」
という衝撃発言をします。

御手杵と貞愛さんのこの二人のわちゃわちゃ凄く好きでした。
貞愛さんのキャラ設定面白いです。史実をよく知らないのですが、
こういうキャラになった元ネタみたいなのがあるのでしょうか?
史実では4年後には死んでしまうし、晩年は足が不自由だったと言われていますが
その辺りはどうなんでしょう。
中の人の兄の方が弟貞愛、弟が兄の秀康に配役されていたのも
昔は後に生まれてきた方が兄(姉)とされたからなんでしょうね。

血の繋がりだけが家族じゃない、というのもキーワードですね。

神主なんだから付喪神”みたいなもの”である自分たちを
もっと敬ってもいい、という感覚を刀剣男士たちは持っている
というのは中々注目すべき点な気がします。
何故刀剣男士とわかったかは今はまだ言えないが、
「ある人から兄貴を救ってやれと言われた」と言う貞愛。

でくのぼうと悪口を言いぶつかり合う貞愛と御手杵を
篭手切江が止める時に、貞愛は吹っ飛ぶし、
御手杵は明石にぶつかるしで笑っちゃいました。
明石痛そうで可哀想。笑

「人間に刀剣男士の正体を明かす。歴史変わってしもうてるやん。
ありえへんでそんなやりくち。
いや、まだや。まだ早い。 きっちり見届けさせてもらいますわ」
とこれまた意味深な台詞を言う明石。

 

謎の男

鶴丸たちと出会った男は信康。
「よかった」と崩れ落ちる村正に胸を打たれます。
吾兵と名乗り百姓として生きてきた信康。
「半蔵の、いや石切丸殿の治療のお蔭じゃ」という爆弾発言。
続けて「蜻蛉切殿、千子村正殿、話は後じゃ今はまずはここを切り抜けよう」。
信康様、逞しくなられましたね。刀捌きも堂に入ってますし。
それとここの鶴丸の殺陣も恰好良かった。
「そうきたか、まったく驚かせてくれる。
やっぱりおれを一番退屈させないのは君だ」と言って去る鶴丸。
鶴丸はこれだけで、既に悟ったんですよね。
空には三日月が出ている。
そしてかかる曲は『華のうてな』。三日月の歌な訳で。

 

合流

男士たちが合流する訳ですが、そのときに貞愛が
「まさか本当に生きておられるとは兄上」と言うの、
やっぱりその辺りも全部先に話には聞いていたんですよね。

「歴史改竄や」と言う明石に、
「 はいはい難しいことはあと 」と割って入る鶴丸。
鶴丸が歌いながら作戦を話すのミュージカルっぽくて良かったです。
検非違使が来ないよう手短に、
結城秀康を正気に戻さないと歴史がかわるから
吾兵と弟とあともう一人くらいで
「わっとやってだっとやってどんで任務完了だ」
っておまえは大阪人か。笑

その後
ここはおれが引き受けるから 逃げ回って翻弄するだけだ
と言いつつ、みんなが行ったのを「行ったか?」と見届けて
戦いに移る様子がまた、明らかに逃げ回るだけのつもりもなく
隊長恰好良い! と心から思うところ。
遡行軍と一緒にステップを踏むところなんかもミュージカル感が好きでした。
「さぁ、ついてきな!」の言い方も恰好よくて。
鶴丸っぽいなと思いました。

 

明石の言葉

明石が篭手切江と会話してるところで、
人の心の奥底にある思いとものに宿る思いが感応するこがあるという篭手切に、
「それは付喪神、なら遡行軍とあんたの違いはなんでっしゃろ」
と言います。
篭手切は、
「違いはない。もし彼らが彼らの正義で戦っているのだとしたら」
と言うんですよね。
この答えも潔いなと思いましたが、明石は続けて
「なにをぬるいこというてますの、戦争ってそういうことや。
互いの正義のぶつかりあいや。
ほいでもって勝ったほうが正義の中の正義。
負けた方はいつだってわるもんや」
「単純にせんと壊れてまうからな、心」
「自分は正しい、敵は悪、だから殺しても壊してもええ。そう思わんとやってられへん」
篭手切江はその考え方はあまり好きではないと言うのですが、
「好きか嫌いかは関係あれへん。そんなもんは偽善や。
あんたがやろうとしてること気に入りまへんな。
結城秀康に感応しているもの、あんたに縁のあるもんなんやろ。
そいつは特別なものなんですか。
歴史に名を残した価値のあるもの、だからなんとかして助けたい。
だとしたらこいつらは歴史に名を残さなかった価値の無いもの。
だから壊しても構わない、そういうことですか。
全てを救えないなら誰も救えてないのと同じだ」

敵とやり合いながら声色を度々変えつつ冷静にいっそ残忍な
殺陣を続けている明石。
最後の「誰も救えてないのと同じだ 」は標準語というか
エセ関西弁ではない言い方に感じました。
みんなが戦という言い方をする中で、明石ははっきりと
戦争という言葉を使いました。

やっぱり、太平洋戦争の記憶なのかなと思いますよね。
なぜ明石はゲームにおいて何故三条大橋にいるのか、と
刀壊時の台詞の考察がありますが
(参考: http://xn--dkqp0gri91r38rn1wmlurtz.com/archives/32067631.html
この辺りを考え合わせると厳しいことを言っているようでいて
実は自分のことを言っているのかなという気もしてくるわけで。

歴史を変えようと遡行軍と一緒に動いていたことがあって
戦争は互いの正義のぶつかり合いで、その結果負けた日本は悪者で
まともな裁判もなく文化を潰すような真似をされて今に至り
その過程で蛍丸も失われた。
自分にも助けたい存在がいたし、救えなかった”仲間”はたくさんいる。
「誰も救えてないのと同じだ 」は、血を吐くような
不甲斐ない自分自身への台詞でもあったのかなと感じました。


貞愛と御手杵

「歴史から消されるってどんな気分なんだ」と尋ねる御手杵。
「別にどうってことない。いることが意味をもたらすなら、
たとえ消されても焼けても変わらない。
この世に存在したことは確かだから」
すべての人に忘れられてもか? と更に問う御手杵に、貞愛は
「だったらおまえが覚えてろ。おれもおまえのこと覚えててやるから」
と言います。
三名槍で唯一失われた槍である御手杵。東京大空襲で消失してしまった悪夢を覚えているのでしょう。
多分観ている審神者たちみんなが思ったでしょうが、みんなが覚えているから大丈夫だよ……。

なんだかんだでわかり合い、御手杵がひとりで立ち回り
切り抜けるところ、凄く恰好良かったです。
「三名槍がひとつ、御手杵。行くぞ」がたまらない。
長い足で蹴りを入れたり階段を数段飛ばして登るのも美しい。

 

信康の話

信康に、「生きていたならいってくれればよかったのに」
と村正が拗ねた感じで言うところがすごく可愛い。
畑仕事をして手も逞しくなったという信康。
吾兵が死んでから刀を握れなくなったけれど、
戦乱で土地を失った民が掛川にたくさん来て、
彼らを守るためなら握れるようになった。
でも、飽く迄も身近な者たちを守るためだけで、
家康のようにはなれないと言う。
思わず「家康さんにはお会いになられないのですか」という村正も愛らしいし、
「それをおまえがいうのか直政。それでは歴史が変わってしまうぞ」
と諭すように笑う信康も素敵で、二人の関係性を感じられます。

信康は石切丸とは怪我が完治してからあっていないそうで、
石切丸本人は飽く迄も半蔵として接しており、正体を明かしたのは
”ある方”。
名は名乗らなかったがわしのことを友と呼んだ、
わしが歴史の流れの中で悲しい役割を背負わされている、
悪意があるようには見えなかった、刀剣男士のことを話し、
手を貸せと言った、という。

つはものを見ていた人は、この”友”でも「ん?」って思うでしょうね。

ここへ秀忠がやってきて、父の後を継ぐ器ではないと言っているのを見て、
長丸とは赤子の頃に会ったきりで覚えていないから大丈夫と
信康が夢を語ろうと出てきます。
正直、農民と将軍の跡継ぎがそんなに気軽に言葉を交わせるのかな?
というのは思ってしまいましたが、とても良いシーンです。
お腹がいっぱいになれば戦はおきないというのは真理だと思います。
「武士だった頃太平の世を目指す夢を諦めたが、
百姓になってから同じ夢に巡り会えた」という信康。
良かった、信康さんは幸せに生きているんだなとも思えましたし
村正も少しは安心したのではないでしょうか。
「あとは於義丸だな」という台詞も、余裕というか風格を感じさせましたし。
「良い子に育ちましたね。私の秘密の教育がよかったのですかね」
という村正がやっといつもの掴めない感じになっていて、
「何を教えたのだ」という蜻蛉切とのやり取りも可愛かったです。

 

秀康との決着

貞愛の言葉

秀康を止めに来た御手杵と貞愛。
家康を殺すから手を貸せと言われて断ると、「ならば死ね」。
「御手杵、いけるか」「ああ!」の、この短い間に生まれた
御手杵と貞愛の信頼関係が偲ばれる台詞が良かった。

「物のように捨てられた貴様こそ父上を恨んでいるのではないのか」
と秀康に言われて貞愛が答える、
「上から見下ろしてりゃ不幸にみえるかもしれないが
ここからみあげてみりゃそっちのほうがよっぽど窮屈に見えるぜ」
「俺はな、父上を恨んだりしねぇ。寧ろ興味がねぇ。
あるとすりゃ殺さずに生かしておいてくれたことへのちょいとした感謝くらいだ」
というのは凄く良いなと思ったのですが、
「いいか兄貴、人はなりたいものになれるわけじゃねぇ、
なれるものになれるんだ」
この言葉はきついなと思いました。それも真理ではあるのですが、
なりたいものとなれるものが同じであるのが良い訳で。
ないものねだりは良くないけれど、
なりたいものになろうとするのは良いことなのではないのでしょうか……。

 

明石の戦いぶり

篭手切に庇われて驚く明石に、「偽善だよ」と言う篭手切。
他の誰かが倒れた時でもそうですが、
篭手切江が倒れて明石が支えるとき
それを見て御手杵が牽制に入るのが好きです。

握手が左手なのは上に書いた通り違和感があったのですが、
敵からの攻撃に対して咄嗟に出すのが左手なのが良いです。
明石の殺陣は本当にキレがあるというか、殺人剣とでもいいますか
気迫がすごいですよね。容赦ない感じ。

 

再びの槍の連携

今度は御手杵から、「蜻蛉切!」と声をかけるのも、
「秀康様、御免」と蜻蛉切が秀康に攻撃を加えるのも素晴らしい。
秀康の刀を御手杵が弾いて明石が取るところも恰好良かった。

これ何気にやってますけど、うまく御手杵が弾くように見せて
秀康がわざとらしくなく放り投げて明石がきちんと取るという
三人の連携が無いと出来ないシーンですよね。
取れないこととかなかったんでしょうか。凄いです。

 

篭手切江の”戦い”

明石は刀を破壊しようとしたのをやめて、
「好きにせい」と篭手切江に渡してくれます。
蛍丸のことが脳裏に過ぎったりしたでしょうか。
「大丈夫、これは私が向き合わなくてはいけないんだ」
と叫ぶ篭手切。
(歌に入るまではもうワンテンポ入れてほしかったですが
刀ミュでそういうことはちょいちょい、特に最近
2.5の枠を取り払おうという要素が増えてから感じるので
演出の好みが自分とは違うのでしょうね。)

夢見るのは眩しいまほろば 高まる鼓動
昇る天に先昇るいつかこの手に
いつかいつの日か 踏み出す時 きっと来るから
先輩私です、思い出してください
泣いてもいいです 嘆いてもかまわない ただ見失わないで
共に夢を見ましょう
夢は見るもの 語るもの

この歌が恰好良かったし、歌詞がきちんとは聞き取れなかったですが
気になります。
貞愛も一緒に歌っているのが良いし、
貞愛が秀康の、篭手切江が先輩の手を取り
「また一緒に夢を見ましょうよ」で先輩がそうだなと言ってくれて
秀康に戻す、つまり秀康も先輩も正気に戻ったということで。

 

先輩について

多少意見は割れているようですが、多分稲葉江でしょうね。
小山評定で家康から渡された刀。
2015年に所在不明と発表された後2016年に個人所蔵と発表、
更に2019年に個人から購入して岩国美術館に寄贈されました。
丁度10月1日から11月30日まで稲葉江展がやっているんですよね。
脚本を書いた時点ではどうだったかわかりませんが、
稽古が始まった頃には
岩国美術館に寄贈のニュースはわかっていたのではないでしょうか。

ある意味では、家康が天下人となる直前に手放された刀。
稲葉江もまた、天下を逃した刀と言えるのかもしれません。
その気持ちが秀康と感応したとすれば、やっぱり辛いですね。

 

家康に訊きたいこと

「父上に訊かねばならぬのだ」と言う秀康。
「もういいじゃねえか。天下は秀忠に任せな」と貞愛が言うと、
「そのようなことはどうでもいいのじゃ、兄上のことじゃ。
父上はなぜわしから兄上を奪ったのじゃ」と言うんですよね。

村正に感じたのと似たような、ああそんなにも、という思いを抱きました。
そんなにも秀康の中で、信康の存在は大きかった。
多分貞愛は、信康は生きていると伝えようとしたのかもしれませんね。
でも声にするより前に、信康が現れます。
「於義丸。おまえが悲しい思いをしている気がしたのでな」
幼い頃に交わした約束。
ここは涙なしには見られません。

 

鶴丸の登場

頑張っていた部分は描かれなくて
台詞と血まみれの衣装だけで済まされるのがちょっぴりうーん
という気もしつつ、まぁ尺やテンポもあるし仕方ないのでしょうか。
引きつけるときには見せ場はありましたし。

崖から転げ落ちたと言っていますが、戦った末にでしょうね……。

止めを刺そうという話になって、村正が「信康さんも」と言うのが
新鮮と言いますが、人間と共闘してしまうというのも
新しいところではあります。
戦っているときの村正の表情も、気持ちが入っていて良いですよね。
最後の一太刀が村正なのも良い。

 

家康の言葉

双子が生まれて、一時にふたりも子宝に恵まれて嬉しかったという
家康の言葉はほっとしました。
双子は忌み嫌われるものであり、跡継ぎ争いに担ぎ出されることも十分ありえます。
後の禍根となるから遠ざけた。
戦乱の世が続くなら跡継ぎは秀康にするつもりだったけれど
太平の世の中で天下を治めるのは秀忠の方が向いている。
好き嫌いではなく、世の中のために決めたことであったというのは
救われる思いがします。

鳥居元忠が討ち死にしたと聞いて、
「すまんの」「わしはうまく笑えておるか元忠」という言葉。
これも、家康の愛が感じられました。

 

任務終了

明石の言葉

刀剣男士はお手入れをしなければ自然治癒はしないのではと思うのですが、
その辺りはっきりとは設定でていないですよね。
人間じゃないんだから、と明石が篭手切江に今回言われていますが。

人間に刀剣男士の正体を明かすこと、
死ぬはずであった人が生きていることは歴史改竄というスタンスだった明石。
最後まで見届けると言っていましたが、結局
「もうしばらく見てみましょか」と言っています。
様子を見て、何がどうならどうするつもりなのでしょうか。

 

鶴丸の言葉

鶴丸「ひとつわかったことがある」
貞愛「ではわれらのようなものが他にも」
信康「ああ。それぞれの時代にいるそうだ」
貞愛「刀剣男士の協力者」
信康「ああ、名前も与えられた」
貞愛「 名前ですか」
信康「三日月殿はこう仰られた」
名乗らなかった、というのは信康の嘘で、本当は三日月は名乗っていた。
そして。

これ、三日月最推しで今回は出ないけど見に行った審神者さんたちは
特に衝撃だったんじゃないんでしょうか?
私は普通にモニターの前で声をあげました。
まさか映像と声での登場。

「物に仕えし物、物部とでも名乗るが良い」

この台詞も衝撃でした。
物部は、鉄器や兵器を製造・管理していた氏族な訳で。

そしてまた気になるのが、鶴丸の台詞。
「この世界には三日月宗近という機能がある、そういうことだな」
これ、審神者に報告していたわけではなく、独り言だったのですよね?

 

タイトルの意味

「題名をつけてくれと頼まれたのだがなかなかよいのがうかばなくてな」と蜻蛉切が言っています。

冒頭で信康が切腹するけれど、飽く迄も秀康の夢だからととれないこともありませんでしたが
こうなるとやはり、これはみほとせの続きであって続きではない、
別の世界線ということですよね。
だって、みほとせでは石切丸が三百年の子守唄、としていたわけですから。

本来の歴史に戻そうとしていた元々のミュ本丸から見た世界がみほとせ、
三日月が介入して変えた世界があおさく。

咲は笑みの意味もある。
この”オチ”は素晴らしかった。

 

2部について

和風な衣装がすごく恰好良かったです。
着物好きなので、自分の推しにもこういうの着て欲しいな
という気持ちに。羨ましい。
毎度思うのですが、2時間以上もあんなに汗だくになりながら
お芝居した後、1時間無いとは言え歌って踊るのしんどいだろうに
ありがとうございます、という気持ちです。

鶴丸の衣装踊りづらそうなのに美しいし歌上手い。
あとは赤いピアスが素敵でした。

村正と蜻蛉切の安心感も相変わらず。村正さん笑顔で安心します。

村正の「まじだるーい。やる気ないんですけどー」って
女子高生みたいで面白かったです。

単騎で「主が頑張ってって言ってくれないと頑張れないなぁ~」
って言ってた加州をちょっと思い出しました。
意外と男士たちはみんなあまえたさんなんでしょうか。笑

本当は徳川4兄弟だったところ、大千秋楽は3兄弟だったみたいですね。
加古さんの負担軽減の為なのか、もしかしたら遠慮なのかわかりませんが
らぶフェスなどで本来の4兄弟が見たいし、泰衡との共演も見たいです。

信康様の2部衣装は、背中にトリカブトの紋があるそうで。
思い出の花なんだろうな、と。村正も石切丸も嬉しいのでは。

みんなの挨拶から、やっぱり相当大変な公演だったんだろうなと
改めて思いました。
蜻蛉切が「またどこかで、どこかの時代で、どこかの時間軸で」
とわざわざ時間軸をつけたのも少し気になりました。
特に村正の挨拶も泣けました。
「私達はけして孤独ではないんですよ」
「本当に寂しくなったらいつでも私達を呼んで下さい。
すぐに会いに行きますからね」
後ろの信康様もとても優しい顔でうんうんってしているのも涙。

新作公演の発表が無いのは良いとして、
『完』も『誉』も出ないのは深読みするところなのか、
ゲームに寄るのを止めたせいなのかどちらでしょうね。

 

残された謎

三日月の存在

刀ステはまだ見ていないのですが、噂では聞いています。
映画も裏切りを思わせるような独走を見せましたし、
これはもはやニトロプラスの大元の設定として、三日月宗近は
”そう”だと考えて良いということなのかな、と思いました。
それに対して鶴丸は、主を困らせているという認識はしていますが
明石のように駄目じゃないかという意見表明はしていない。
鶴丸はどういうスタンスでこれからやっていくつもりなのでしょうか。

小狐丸は主のために稽古をして舞を見せていましたし、
鶴丸も無垢な舞に飢えているだろう、と舞ってくれました。
三日月は”無垢ではない”し、主は舞がわかるのかとまで
あつかし巴里で言っていましたよね。

三日月はつはものでもふらっといなくなっていて
それが「相変わらず」の状態である。
ミュ本丸の転移装置の機構がよくわかりませんが、
勝手に単独行動で他の時代へ行って”物部”を増やしていた…?
みんなで長い時間いれば検非違使が来るから?
つはもので義経公を助けてくれたのは、気まぐれではなくて
この先もこのやり方を続けていくつもり、ということ。
それは、神様、ですよね。

このやり方は本来のやり方からは外れていて、というか寧ろ
微々たるものかもしれなくても歴史を変えてしまっている。
バタフライ効果でどこでどうなるかわからないのに、
これくらいなら大丈夫という線引をどうしているのか。
どういう思いなのか、何故味方が必要なのか。
主はどう思っているのか。
つはもので、汚れ仕事は自分がやればいい、主に言う必要はない
と髭切が三日月に代わって言っていました。
でも、主は多分気がついているんですよね?
そもそもこれ、つはものの後の任務がみほとせ(あおさく)で
時間軸自体は合ってるんでしょうか。
そこも謎なのかも。

ミュ本丸でそういう概念は出てはきませんけども、
”政府”からしたら三日月のしていることは多分処罰対象ですよね。
もはやそれは、遡行軍と同じなのではないのかと。

つはもので髭切が言っていたとおり、
何を考えているのかはそんなに難しくないのでしょうが
やり方が謎ですし、大丈夫なの? という思いがつきまとう。

ゲームの考察でも度々言われる時間遡行軍と刀剣男士。
今回もはっきりと違いはないと言っていましたしね。
ちょっとこの辺り、やっぱり不安になります。

 

刀ミュ4周年を迎えて

約4年をかけて、あつかし→つはもの、ばくまつ→むすはじ
そして今回でみほとせ→あおさく と対になるお話が終わり、
物語の中ではっきり明らかにされたことがあり。
ひとつの区切りが終わって、らぶフェスではなく歌合がはじまり。
次の物語は大きく転換することが予想されます。
新しい挑戦、という言葉も度々使われていますし。

2.5とストレートの垣根を取り払うということ自体は
非常に応援しています。役者さんの為にもなるからです。
2.5は普通の芝居よりクオリティは低い という見方がある以上
垣根 は無い方が良い。
ただ、トライアル公演のゲームにきっちり寄った作りも好きでしたし
自分はポジティブに捉えましたが、双騎出陣への賛否両論があったことも理解できます。

4年でここまでのものに押し上げてきたことは素晴らしく
同じことを繰り返すのではない挑戦の姿勢もリスペクトしていますが
どういった方向に進んでいくのかなというのは
大きな期待と一緒に小さな不安も実はあります。
どんどん新しい刀剣男士が増えて大所帯になるのは楽しい半面
本公演に出なくてもらぶフェスでは推しに会える、
とも限らなくなってきて
役者さんが売れてきてスケジュールが合わなくてというのは
勿論喜ばしいことではあるのですが寂しいことでもあり。

自分は加州推しで、単騎出陣がある分まだ恵まれているとは思います。
それでも総隊長の加州清光が好きなので、再演・単騎はあっても
本公演は最初の1年だけ、らぶフェスも1・2年目だけなのは寂しいです。
欠席=キャス変は無いと思いたいところですが、
本公演にも歌合にも出ていない男士のファンはどうしてもざわざわしてしまいますし
来年果たして出演があるのだろうかという不安は付き纏います。

刀ミュの新たなる挑戦、どんなものになるのでしょうね。