ミュージカル『刀剣乱舞』 ~坂龍飛騰~ 感想と考察

DMMTVでミュージカル『刀剣乱舞』十周年記念 過去38作品配信
をしてくれていた為、今回初めて見た。

公式サイト https://musical-toukenranbu.jp/pages/spring2025

ミュージカル『刀剣乱舞』 ~坂龍飛騰~( Blu-ray )

役者さんたちへの感謝

やっぱり刀剣男士を体現してくれている俳優さんたちは
本当に素晴らしいしとても感謝している。
中でもむっちゃんを演じる田村さんは、
彼がミュ本丸のむっちゃんをやってくれていなければ
私は刀剣乱舞というゲーム自体の陸奥守を好きになることがなかったと思っている。

自分の立ち位置、価値観、出自などからして、どうしても薩長土肥は
簡単に一言で言うなら『敵』なので。
むっちゃんのゲームの台詞も引っかかることが多かった。

でも、謙虚で真っ直ぐな心くんが演じるむっちゃんを見て
引っかかることがなくなって直視できるようになった。

上田さんの演技力も大変良かった。
ステレオタイプな明るい龍馬からのリョウマの変わり方が良かった反面、
普通に演じる坂本龍馬も見たかった気がして勿体ない。

 

ネタバレあり感想

役者ありきで物語が浅い

陸奥守が全ての龍馬に関わる任務を自分が引き受ける、
生き残ればその度自分が殺すという重い始まり方や
物部リョウマの出身地が戊辰戦争で焼かれる場所という設定は良かった。

場面場面は良い。役者さんの演技に引っ張られて見入ることはできるのだが
結局演出と本が浅過ぎてその場面に至るまでの物語が極めて薄い。
大事なのは物語ではないのだろうか。背景があってこそのクライマックスシーンだから
人の心は動くのであって、
人の命とか悲しいことを題材にそのシーンだけで役者の演技力だけで観客を泣かせるのは
浅いとしか言いようがない。
折角役者や設定の素材は良いのに無駄遣いしているパターン。
シーンをただ継ぎ接ぎしている。

 

陸奥守の役割と本丸の物語の停滞

この六振りである必要性が見えてこないのも最早毎度のことになった。

それに表向き冷徹に任務をこなすが情が深い隊長という話は、
パライソで鶴丸がもうやったと思うが。
この本丸の初期刀問題に関わる話でもなさそうで、
ただただ陸奥守が一人で抱えていた訳で、三日月の名前を出せばいいと思っていそう。
本丸の話自体は全く進まなかった。

陸奥守は玖寿あたりから急に古参演出がされるようになった印象で、
きっちり伏線を敷いてきた訳でもなく突然加州や蜂須賀より古参と言い出すなら
個人的には興醒め。

伊藤脚本の鶴丸の真似しようとして失敗しているのでは
という感想を見かけてかなり共感した。
あれは鶴丸という三日月とも縁のある本丸でも古い刀で
あの飄々とした、執着の無さそうな性格があってこその物語だ。
先回りして遡行軍を潰すことも、一人で抱え込んでいるだけで
部隊全体の成長には繋がらないし、意味不明になってしまっている。
こうすればカッコイイ、を履き違えている気がする。

物部という設定の無理と矛盾

リョウマはこれまでどうやって生きてきたのか。
よくあるフィクションならそういう学校で英才教育でも受けていそうだが
三日月のやっていることにそこまでのシステムは無いだろう。
幼い頃に助けてもらって、ある程度成長するまで坂本龍馬にそっくり、
だなんてわからない筈だし。
それとも神様だからわかっていたとでも?

百姓で侍を恨んでいるという一昔前の歴史認識のステレオタイプな百姓設定も
浅いなと思うし
そんな人間に侍の役をやらせるなんて悪趣味だ。
それでもいい、恩に報いると決意してのことだったのなら
任務にあまり真摯に向き合っているようには見えなかった。

どうやってか知らないが影となり生き、坂本龍馬の交友関係などを把握していて、
しかし降りるなら降りても良いが、そうすると飯にも困る。
一体三日月とどういう約束をしてどういう生き方をしてきたのか、矛盾している。

これまでもこういうことはあって、今回もまた途中で降りようとして、
戻ってきたのは初めてだったのかもしれないが
いずれにせよ三日月と陸奥側にも物部側にも、
そこに必然の理由が見当たらない。

 

命の倫理と任務の必然性への疑問

身代わりが必要という割には、刀剣男士が成り代わっても
成り立つ任務なら、死んだ事実を流布できれば死体がなくても良いのでは?
ならリョウマが死ななければならない理由は?
みほとせにしろこれまでにしろ、そこは問題になっていなかった筈では。

助けてやったのだから言う事を聞け、詳細は知らせないでは
やっていることがただのヤクザだ。

駒にする為に助けた訳ではないだろうが
駒にする為に物部にする。微妙なところだ。
長期不在になり本丸の戦力が落ちることはマイナスだが、
事情を知ってる刀剣男士が歴史上の人物に成り代わる方が絶対効率的だろうに。
顔が似ている程度で素人を物部としても、
こんな大役を任せるのは厳しいだろう。

命を助けられたのだから、その後の人生はなかったものなので
命の恩人に言われた通り他人の人生を生きろ
というのは、みほとせ・あおさくでは本人が前向きだったので良いけれど
そうではない人にまで強要するシステムなのか。

 

この本丸の主はなにをしているのか

三日月は少し前までは本丸にもいたが最近見ないらしい。
呼び戻すとか罰するとか時の政府の報告するとか逆に応援する保護するとか、
なんの手段も講じていないように見える。

結局三日月は何をしているのかもよくわからない。
人を助け物部を増やすことがどう歌仙を取り戻すことに繋がるのか。

陸奥守の希望とは言え、
ひたすら元の主を殺し続け元の主のことが思い出せなくなるような状態を放置し
任務につかせ続けるのも頭が可笑しいと思う。
一言で言うなら愛が無い。愛で咲く花ではなかったのか。

 

描写の矛盾と浅すぎる歴史観

演出面の問題点

なにかと理由をつけて短時間の手合わせパターン、
また使うのか。
いきなり刀を抜いて味方を切りつけて試すパターンも飽き飽きする。

心臓マッサージの演技指導、もうちょっとどうにかならなかったのか。
腰が入っていないどころか腕にも力が入っていない。
生きている人間に本気でやれないのは当然だが
体に力を伝えないように本気でやる術はあるのに。

死んではいけない史実上の人間が死んだ場合、
刀剣男士が成り代わるのが度々行われていた作戦は
みほとせとあおさくだけではないのか?
つまり一度だけではないのか。
よく使われている方法と言うのが気になった。

これ見よがしの三日月背景も飽きてきたなぁ。
今回は欠けているところに星が書かれていなくて良かった。

 

設定の矛盾

勝麟太郎のところまで全員で行ってしまうが
護衛がこんな大人数いたら不審過ぎるだろう。
そもそも現地の人間に認識されるのを避けるべきなのに
平気で触れ合っている。

大慶が「刀剣男士は名乗っちゃいけない、でもいいか」
というのはどういう設定なのだろう。
阿津賀志山で今剣が名乗る分には、幼さや義経と会えた喜びから言ってしまうのも
無理ない流れだったが。

未来の話は刀剣乱舞問わずタイムトラベルものでは
現地の人に話すのはご法度だろうに
南海先生は何故リョウマに話してしまうのか、
それに対して仲間たちもそこまで重要と捉えていなさそうだ。
何のために話したのか不明だった。
事情を説明せず駒として使うだけなのはフェアではないと思ってのことなら
そういう見ぬふりをしようとしている他の男士たちへの
怒りや疑問が描写されるべきだ。それなら納得できる行為になった。

人一人がどうこうしたところで戦争がとめられない
と後家が言うけれど、大いなる矛盾だ。
人一人でどうこうなることもあるから刀剣男士がこうして右往左往しているのだし
薩長土が繋がらなければ少なくともあそこまで一方的に
東北地方が攻められることはなかっただろう。

 

キャラクター描写の問題

陸奥守吉行のキャラがこれまでと変わっているのは
この過酷な任務でこうなっているという解釈でいいのだろうか。
三日月の映像出演が長すぎて冗長。

銃をばらすのはいかんと陸奥守が言っているが
毎日でもばらして手入れするものだろうに。

検非違使が出てくるの、一蓮を思い出すが。
一体とは言え三日月宗近並に陸奥守吉行が渡り合うのか。
この編成の中では陸奥守が一番レベルが高そうだが、
一蓮であんなに苦労して倒した検非違使を一人で倒す。
三日月は周回しているから強いというので納得がいくが、陸奥守はどういうことなのか。

物部を途中で降りていいなら最初から刀剣男士がやればよかったことだ。
普通なら秘密を知っている人を野に放つことはしないと思うが
小物だから良いという話なのか。

 

テーマ性の曖昧さ

肥前とリョウマの会話のシーンはそれなりに良かったと思うものの
散るべき時に散らなかった花は腐るだけ、
とこれまた良い話風に言っているが、
リョウマの散るべき時は火事に巻き込まれて三日月が助けた時だろうが。
三日月への恩義ではなく一度は故郷の為もあって逃げたのに
戻ってきて死のうという気持ちになる理由がわからない。

尊敬する”上”の人に言われて従ってきたが
その任務に疑問が生じるという点では、リョウマも以蔵も同じだったろう。
そして以蔵は死ぬことを受け入れたくないと考えたはずで
それを知っているだろう肥前が死を促すかのような発言をするのはどういうことだろう。
主のことを、散り際を誤って腐った花だと思っていたのだろうか。

「命の尊さをわかっているから歴史を守る」。
それっぽいことを言っているけど意味がわからない。
笹貫のここまでの西郷への気持ちや知識が描かれていないので、
急に西郷にキレる感じしかしなかった。
ただ方言を言わせたかっただけ感。
笹貫が西郷が会津を攻めることに疑問を持っているとか
西南戦争に結局至ることをどう思っているとか、それくらいの描写は必要だった。
それにリョウマの話だった筈が置いてけぼりにされていたのもどうかと思う。

刀剣男士と言えど、陸奥守を受け入れられない新選組刀のように
立場によって派閥があって然りと思うのだが。
笹貫はもっと主を肯定または批判する描写があって良かっただろう。
それによって土佐組に寄り添うなり反発するなりがあって良かったはずだ。

覚悟を決めたにしても武士でもない人間が
いよいよ死ぬなという時にすんなり受け入れられるものだろうか。

リョウマが龍馬として生きる決意までの話がきちんと描かれていれば、
自覚で本物になっていくリョウマとそれを誇りに思う陸奥守も
或いは美しく感じたと思うが、
それも無いのにどう足掻いても本物ではないリョウマに心を動かす陸奥守では
寧ろ本物の龍馬が浮かばれないのではないか。

 

思想性への疑問

そのへんの石、花と言ってしまったら、刀剣男士が人の命に優劣をつけていると思う。

散るべき時を決めるのは刀剣男士なのか?
史実で明らかになっている場合はいつ死ぬかはわかるが、
資料があやふやなこともあるし、資料のない”無もなき”命の散るべきはいつなのか。
刀剣男士だって把握していないのではないかと思う。
散るべき時に散らなければ腐るだけとまで言い放つならば
物部という存在は全て許されないだろうし、過去の任務結果も否定すべきことが出てくる。

月は自分で光ることができず反射するだけ、というのも随分な暴言だと思った。
神に救われ感謝してお礼にできることをし手助けしたい、というのが
物部たちだと思っていたが。

 

歴史的な部分への疑問

史実認識の問題

今ある龍馬像は結局創作されたものでしかないと思っているので
彼を生かしたところでそこまで大きなターニングポイントになったとは思えないのだが。
時間遡行軍はどういうつもりで動いているのか。

三日月は西郷隆盛に接触して何をしていたのか。
西郷も随分恩に感じていそうだった。
つはものを思うと、本人の意思関係なく東軍を滅ぼせと指示しているとか?

一蓮でもやたら平泉平泉言っていたが、何故そんなに”平泉推し”なのか。

龍馬が能天気で前向きなキャラというのはどこから来ているのだろう。
どうも司馬史観に縛られているとしか思えないのだが。

百姓が偉いというのは別に否定しないのだが
有象無象を取りまとめる存在がなければ国は成り立たない。
どういうつもりでリョウマにこの台詞を言わせているのだろう、と思った。

 

登場人物の扱い

久坂玄瑞のキャラ設定もよくわからない。
こんなお調子者の印象は無いのだが。
リョウマが先祖が耕してきた土地を夷人に奪われたくない
という考えなら単純に長州と組めるものか?

坂本龍馬が脱藩したのは武市半平太と喧嘩したからとは初耳である。
「概ね史実通り」なのか? これ。
刀剣男士≒演出脚本家の認識する史実がこれなのか。

勝海舟と岡田以蔵を出しておいて、護衛の話を出さないとは思わなかったし
武市と以蔵の間の話に全く触れないとも思わなかった。

久坂、岡田、武市は出す必要があったか?
描写らしい描写もなく武市と以蔵が死んでしまった。

南海先生のシーンを作りたくて武市先生を出しただけに感じる。

お龍も出さないまま温泉の話だけは出すのだなと思った。

 

どんな話なら納得がいったか

設定自体はともすれば面白くなるかもしれない内容だろうに
相変わらず物語が浅過ぎる。
歴史資料をあたった上で書かれた脚本なのだろうかと
疑ってしまう。
恐らく一次資料には当たらず書いているのではなかろうか。

基本的な歴史は観客が知っていること前提、
これまでの作品も見ていることが前提になっている。

個人的にはそもそも、通説になっている坂本龍馬像に疑問があるし
彼の言動がそんなに影響を持っているものだと思っていない。
その辺りを差し引いても、背景の描写がなくてシーンの継ぎ接ぎ過ぎる。

リョウマの三日月に助けられてから物部として生きることを決意するまで、
そして龍馬として生きる覚悟を固めるまでの心の変化を、
もっと時間をかけて描くべきだった。
映像出演の三日月と子役という形ではなく、彼の決意が見える描写が必要だった。
故郷が焼かれるから薩摩と組みたくないと言った割に
その辺りのこともうまく生かしきれていない。

薩長土肥ゆかりの刀と、それ以外の刀。
特に笹貫は、西郷隆盛の元主としての立場から、この任務にどう向き合っているのか。
新選組刀が陸奥守を受け入れられないように、派閥や立場による葛藤があってこそ、
物語に深みが出る。

司馬史観的な龍馬像に頼るのではなく、より多角的な視点から幕末を描くこと。
リョウマの出身の話をするなら、薩長の視点だけでなく
会津や東北の視点も丁寧に織り込んでも良かっただろう。
折角役者が揃っているのだから、龍馬が以蔵を勝海舟に引き合わせ
護衛を任せるシーンは入れるべきだったのでは。
武市と感覚が合わなくなって苦しむ以蔵がどんな目に遭って
あの処刑シーンに繋がるかは、語らないのはもったいなかったと思う。

正直に言えば、やはりこれ以上刀ミュの物語を続けるのは難しいと思うし
だからこそあと二年で終わるのは仕方ないと改めて思った。
あと二年でどこまで伏線を回収できるのか、きちんとした終わりにこぎつけられるのかは大いに不安である。